老子48:手放して得られる道
老子第四十八章の原文
為学日益,為道日損。損之又損,以至於無為。無為而無不為。取天下常以無事。及其有事,不足以取天下。
現代語訳
学問を学ぶと、知識や技術が日々増えていく。しかし、道を修めるには、逆に日々何かを手放していくことが求められる。その手放しを続けていくと、最終的には「無為(なすことがない)」の境地に達する。「無為」の状態にある者は、すべてのことが自然に成し遂げられる。天下を治めるためには、何もせずにあるがままに任せることが大切であり、何かを成し遂げようとする努力は、かえって天下を治める力を損なってしまう。
解説
老子のこの章は、学びと道の関係を対照的に描き、「無為」の重要性を説いています。学問や知識を追求することは、現代社会でも一般的な成功の道とされ、日々努力を重ねて成果を得ることが推奨されます。しかし、老子は道を究める過程においては、逆に余計なものを削ぎ落としていくことが重要だと述べています。
「為学日益」とは、日々の学びによって知識が増えていくことを意味します。これは一般的に良いこととされますが、老子はここで「為道日損」と述べ、道を歩むには逆のプロセスが必要だと説きます。つまり、余分な執着や欲望、知識さえも手放していくことで、心が軽くなり、自然の流れと一体となることができると示唆しています。
「無為」とは、何もしないことではなく、無理やり何かをしようとせず、自然のままに任せることです。この境地に達したとき、自分が意図的に何かをするのではなく、物事が自然と成し遂げられるようになります。これは「無為而無不為」と表現され、無為でありながら、何一つ成し遂げられないことはない、という逆説的な真理を示しています。
さらに「取天下常以無事。及其有事,不足以取天下」と続き、天下を治めるためには、無理な介入や作為を避けるべきだと強調しています。何かを成し遂げようとする努力が、かえって物事を複雑にし、自然の秩序を乱す原因となることを指摘しています。
老子の教えは、現代においても非常に示唆に富んでいます。例えば、現代のリーダーシップやマネジメントにおいて、過度のコントロールや干渉がチームのパフォーマンスを阻害することがあります。老子の「無為」の教えは、リーダーが過度に介入せず、チームメンバーの自主性を尊重することで、結果的に最善の成果が自然と生まれることを示唆しています。
また、日常生活においても、何かを得ようとする焦りや欲望を手放し、自然の流れに身を任せることで、心の平安を得ることができるという教えとして理解することができます。老子は、複雑さや過剰な努力を避け、シンプルで自然な生き方を提案しているのです。
このように、第四十八章は「学び」による蓄積とは逆に、手放しによる充実を示唆しており、その中で真の力が発揮されるという深遠な教えを含んでいます。
手放して得られる道
私たちは、日常生活や仕事の中で多くのことを学び、身につけていくことが求められます。スキルや知識を増やし、目に見える成果を上げることが成功の道だと信じられています。しかし、老子の第四十八章では、まったく逆の考え方が示されています。ここでは、「手放す」ことこそが、真の道を得るための鍵であると説かれています。
学びの増加と道の削減
まず、「為学日益,為道日損」という言葉があります。これは、学ぶことによって日々知識や技術が増えていく一方で、道を歩むためには逆に何かを減らしていく必要があるという意味です。私たちは、知識や経験を積むことが成長の証だと考えますが、老子はその過程で余計なものを削ぎ落とすことの重要性を指摘しています。
この「削減」とは、単に物理的なものを捨てるだけではなく、心の中に抱えている不安や執着、固定観念を手放すことも含まれます。私たちはしばしば、知らず知らずのうちに多くのことに縛られ、心が重くなってしまいます。しかし、そうしたものを手放すことで、逆に軽やかに、自由に生きることができるのです。
無為の力
次に、「無為而無不為」という逆説的な言葉が登場します。これは、「何もしないことで、すべてが成し遂げられる」という意味です。「無為」とは、ただ何もしないことを意味するのではなく、無理に何かをしようとせず、自然の流れに身を任せる態度を指します。この境地に達すると、自分が意図的に何かをする必要がなくなり、物事が自然と成り立っていくのです。
この考え方は、現代においても非常に示唆に富んでいます。例えば、過剰なコントロールや干渉が、かえって結果を悪くすることが多々あります。老子の教えは、過度な介入を避け、自然な流れに任せることの重要性を教えてくれます。
手放すことで得られるもの
では、私たちが手放すことで得られるものとは何でしょうか。それは、心の軽さや平安、そして自然の流れと調和した生き方です。何かを手に入れようとする欲望や、結果に固執する思いを手放すことで、私たちは本当に大切なものを見つけることができます。
老子の教えは、現代のストレスフルな生活や仕事の中で、私たちが見失いがちなシンプルさや自然との調和を思い出させてくれます。私たちが手放すべきものは、物質的なものだけでなく、心の中にある余計な負担や不安、執着です。これらを手放すことで、私たちは真に豊かな生き方を手に入れることができるのです。
結論
「手放して得られる道」というタイトルが示す通り、老子の第四十八章は、何かを増やすことよりも、手放すことによって得られるものがいかに大きいかを教えてくれます。私たちが日々の生活の中で少しずつ手放していくことで、より自由で、自然な生き方を実現できるでしょう。
この教えを日常に取り入れることで、私たちは老子が説く「無為」の力を実感し、シンプルでありながらも深い幸福感を味わうことができるのです。手放すことを恐れず、その先にある道を信じて進んでみましょう。
今までのわたしの人生において、手に入れる、ずっと増やすことを求めてきたように感じています。その証拠に身の回りにある様々なモノに囲まれ、部屋にはモノが溢れているわけです。これは執着以外の何物でもありません。とらわれ、こだわり、かたよりといった概念で雁字搦めなのです。
もはや妄執の域まで集め続けた結果が現在の姿であり、これを一つずつ手放していく、捨てていく、忘れていく必要があります。思い出の品々にさえ愛着という名の執着が粘着テープのようにくっついています。今なら簡単に剥がせるものを放っておけば剥がそうにも剝がれなくなります。
余計なものを手放すことで身軽になれます。そう頭では理解できても執着の力は引力のようなものですから簡単ではありません。重いものほど引力が強い道理です。であれば軽くすればいいわけです。どうでもいいことにしがみつかない。意識的に「握りしめているものを手放す」努力です。
京都の家を手放すことにしました。年内には明け渡しを予定しています。遠方への長期出張が始まるからですが、断捨離してマキノの小屋に一本化します。そう決めてスッキリしました。思いを手放すことから始める道です。決めた途端に心が軽くなりました。重荷を背負って歩くことはありません。
今日もご覧いただき誠に有難うございます。
念水庵:SUI
庭石や鈴虫眠る雨上がり