禅の道(19)とにかく、いっしょけんめい
— 禅道が教えるシンプルな生き方 —
禅の道は、何事にも「一所懸命」であることを大切にしています。これは、ただ一つのことに集中し、その瞬間に全力を注ぎ込む生き方です。このシンプルさが、むしろ深い力を持っており、各自が自分の目的や目標に向かって進むとき、文字通り命がけで向き合うことで道が自然と開かれていくのです。
1. 一所懸命という言葉の意味
一所懸命とは、「一つの場所に命を懸ける」という意味です。現代では「一生懸命」という表現もありますが、元来は特定の「所」、つまり役割や場に対する深い責任感を指していました。この「所」を大切にし、そこに全てを注ぎ込む姿勢が、禅の道においては重要です。
2. ひとつのことに集中する力
日常生活の中で、私たちは多くの選択や情報に囲まれ、気が散りやすい環境にあります。しかし、禅の道は、無駄をそぎ落とし、ひとつのことに集中することを勧めています。たとえば、「呼吸」や「坐る」という単純な行動にも集中し、一所懸命にその瞬間を生きることが修行の一部です。この姿勢が生活にも浸透すると、日々の営みが次第にシンプルで心地よいものに変わっていきます。
3. 命がけで生きる姿勢がもたらす変化
全力で生きることで得られるものは、成功や達成感だけではありません。そこには、逆境にも耐え、過去や未来にとらわれずに「今」を生きる強さが育まれます。このように、日々を一所懸命に生きることが、自然と心の強さと落ち着きをもたらし、結果として道が自分の前に開かれるのです。
4. シンプルに生きる禅の道
禅は、物事を複雑にせずに生きることを教えています。ひとつひとつの行動に対して全力を尽くすと、余分な迷いや不安が消え、気持ちがすっきりします。この生き方こそが禅の真髄であり、「とにかく、いっしょけんめい」に生きることで、生活が整い、やがて自分の求める道が見えてくるのです。
私の経済の師匠(金持ち父さん)は、経済的に成功するためには、あれこれ右顧左眄することなく、『とにかく、いっしょけんめい』はたらくことだと、折に触れいくども話されました。一事を貫いていけば、かならず成功する。いつしかそれは私のなかでの信念に注がれております。
ふりかえると、物事はわかりやすいものです。過去は自分です。ゆめをもてば、物事がたのしくなります。未来も自分です。目のまえの為すべきことを黙々とこなしていく。今が自分なのです。自分を大切にすることは、過去をただ振り返り、未来をただ見つめ、今をただ生きていくことです。
ただより安いものはない。ただより高いものもない。ですから「只今」なのです。日本人は、帰るところや戻るところに着くと「ただいま」と挨拶いたします。それこそ毎日のように只今をアファーメーションしています。元気のあるなしにかかわらず、「ただいま」と自己宣言しています。
「挨拶」にせよ「只今」にしてもこれは禅のことばです。
禅家では、「 一挨一拶( いちあいいっさつ) 」と申しまして、師匠が門下の僧に、または修行僧同士があるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。 これが挨拶という禅語です。
「只今(ただいま)」は禅語の「只今(しこん)」に由来していると言われています。禅語の「只今」は「いまはいましかなく自分は自分でしかない」という意味です。
「いまという、いまのまには、いはすでになし」
道元禅師のわかりやすい言葉で、きょうも一日スタートします。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵
念水庵の庫裡(山小屋)から池や参禅堂そして山や空をながめています。
この朝のひとときもまた、坐禅であり、生涯であります。
あそこで土を焼きたい。
ふと、池の向こう側に陶芸小屋を建てたいと思いました。
縄文時代の竪穴住居よろしく少し土を掘って、壁のない合掌づくりのような単純な三角屋根を組んで、作業場にする計画です。
ゆめは実現します。参禅堂もそうでした。