禅の道(54)読経の喜び
禅と読経:「声に出して読む」ことの深い意味
禅の道において、読経(どきょう)はただ経典を唱えるだけの行為ではありません。それは禅僧たちにとって、心と体を調和させる修行の一つであり、「今ここ」に集中するための重要な実践です。
読経の特徴:抑揚を抑え、淡々と読む
禅の読経は、抑揚を極力つけずに淡々と読み上げるのが特徴です。これは、感情的な高揚や自己表現を排し、無心で読むことを目的としているためです。声のトーンを一定に保つことで、自己意識を薄め、周囲と一体化する感覚を育みます。
呼吸の基本:吐くことを重視
読経では「息を吸うのは一瞬、息を吐き続ける」ことが基本です。この呼吸法は、禅において重要視される「腹式呼吸」の実践とつながっています。息を長く吐き続けることで、心が落ち着き、集中力が高まります。また、この吐くことを主体とする呼吸法は、普段の生活においても深いリラクゼーション効果をもたらします。
鐘の音と調和する声
読経には、鐘(鏧子:けいす)の音が伴います。この鐘の音は、声にリズムと調和を与えるためのものです。鐘の音程に合わせて声を出すことで、経文の響きが空間に広がり、唱える人々の心が一つにまとまります。この音と声の一体感が、読経をただの朗読ではなく、深い修行へと昇華させるのです。
導師と共に唱える
読経は通常、導師(どうし)のリードに従って行われます。導師のテンポや抑揚に従いながら声を合わせることで、自然と全体の調和が保たれます。この「合わせる」という姿勢が禅の精神そのものを表しています。読経は、個々の意識を超えた「一体感」を体験する場でもあるのです。
読経を通じて学ぶ禅の教え
「無心」になる
声を出す行為に集中することで、頭の中の雑念を手放し、今この瞬間だけに存在する感覚が育まれます。「呼吸」を整える
読経中の呼吸法は、心を静めるだけでなく、心身全体の調和をもたらします。これは坐禅や日常生活にも応用できる貴重な教えです。「調和」を体験する
鐘の音や導師との一体感を通じて、個の境界を越えた「共にある」感覚を味わうことができます。
日常生活に活かす読経のヒント
短いお経を唱える
「般若心経」などの短いお経を、抑揚をつけずにゆっくり唱えるだけでも効果的です。呼吸を意識する
読経の際には、息を長く吐き続けることを意識しましょう。それが心の落ち着きにつながります。音に耳を傾ける
読経中、自分の声と空間の響きを感じることで、自然と「今ここ」に集中できます。
禅における読経は、単なる経文の朗読ではなく、心と体を整え、他者と調和するための深い実践です。日々の生活の中に読経を取り入れることで、禅の教えをより身近に感じることができるでしょう。
約7年前に私は喉頭がんに罹りました。幸いステージが低かったので名古屋の大学病院で放射線治療に通いました。昨年までほとんど声が出にくかったのですが、今年になってようやく朝課の声が響くようになってまいりました。少しずつ声は戻ってきております。
同様に喉のケロイドも少しずつ治ってきました。鏡に映る首すじを見てるとまるで老人です。放射線治療の効果は絶大とされますが、長く後遺症が残ります。それでも放置していたら生きていなかったことを思えば、まことに有難いことです。昔なら手術をしても声を失っていたことでしょう。
声が出るだけでも有難いことなのです。声に出してお経をお唱えしておりますと、その声はまず吾が耳に届きます。自分の声にうながされて、仏の声を聴くおもいがいたします。仏は仏像ではありません。自身のなかにおわす仏が「生きろ」とやさしく声をかけてくださるのです。
生きていくのは並大抵なことではありません。つらいことや悲しいことがほとんどかもしれません。それでも喜びは見つけられます。「読経」は私にとって「命を知る」貴重なひとときです。宗派によってお唱えするお経は違っても、その声の響きは、明るさであり、仏の声明そのものであります。
読経は喜びの声
ご覧いただき有難うございます。
念水庵
にゃんすいあん日記24日目
ビリーはここには真似できない凄ワザがある。
軽い身を活かして、柵をよじ登ることができる。
降りてくるときの所作がかわいすぎます。
爪をたてながら、それはそれはもうメロメロになるシーンです。
動画はまた今度にします。
グーグルドライブ、あいかわらず調子が悪いからです。