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禅の道(32)家族

「家族」という最小単位の真理

人間は、一人で生きていける生物だと言われます。一人暮らしをしても、自分の仕事をしても、物質的には何不自由なく生活できます。しかし、果たして「生きる」ということが、それだけで成り立つでしょうか?禅の視点から見れば、生きるとは「他者との関係の中で成り立つもの」と捉えられます。その最小単位が「家族」です。

家族は「助け合いの基本単位」

私たちは生まれた瞬間から、家族の一員として生を受けます。赤ん坊は自力で生きることはできず、親や家族の助けを受けて育ちます。成長するにつれて独立する道もありますが、家族が与えてくれる「支え」は消えるわけではありません。親、兄弟姉妹、配偶者、子ども――それぞれの立場が互いを補い合い、困難に直面したときには支えとなるのです。

禅では、助け合いの本質を「縁起」の教えとして説きます。一つの存在が他の存在と深くつながり、影響し合う。この真理は家族という集団において、特に鮮やかに示されます。たとえば、家族の誰かが病気になると、全体でそれを支えます。その支えを通じて、絆がさらに強まるのです。

家族を通じて学ぶ「自己を超えた存在」

禅の道では、「自己」という枠を超えて他者と一体になる感覚が重要とされています。家族という単位は、その最初の練習場のようなものです。家族のために、時に自分の欲望や利益を後回しにし、他者を優先する経験――これこそが自己超越への第一歩です。

例えば、親が子どもに無償の愛を注ぐ姿は、その最たるものです。また、子どもが親の介護をする場面も同じです。禅の教えでは、このような行為は「他者の中に自分を見出す」ことにつながります。つまり、家族の存在を通じて、自分の役割や存在意義を深く理解することができるのです。

家族の本質は「今ここ」にある

禅の実践の中で、「今この瞬間を大切に生きる」という教えがあります。家族との時間も同じです。一緒に過ごせる時間は有限であり、その一瞬一瞬をどう生きるかが、家族の絆を形作ります。

たとえば、食卓を囲む時間や日常のささやかな会話、時には一緒に困難を乗り越える瞬間――これらはどれも、今ここにいるからこそ得られる尊い経験です。スマホやテレビに気を取られ、家族の声を聞き逃すようなことがあれば、それはかけがえのない瞬間を失うことと同じです。

家族を見つめ直す禅の智慧

家族という単位は、時に面倒や葛藤を生むこともあります。それでも、禅の道から見れば、その中にこそ学びがあります。家族と接する中で、自分の未熟さや固定観念に気づき、それを乗り越えることができるのです。

最後に、老子の言葉を引用しましょう。「大きな国も小さな村も、水が低きに流れるように、柔和で謙虚であれば、すべてが調和する。」家族の中でこの姿勢を実践するならば、その調和は自然と深まります。

家族の道は禅の道

家族は私たちの人生の原点であり、心の故郷です。この最小単位の集団を通じて、私たちは禅の真理に触れ、深い洞察を得ることができます。家族との関係を見つめ直し、その中に潜む学びを探すとき、私たちは禅の道をより深く歩むことができるのです。


ご覧いただき有難うございます。
念水庵

「にゃんすいあん」の今ここ
きのうは、この子たちが外に飛び出さないように、入口に杉の合板で囲いをつくりました。蝶番をつかって高さ91センチの壁をつくったんです。この壁は大きくなると平気で飛び越えるでしょうが、生まれて2か月のこの子たちならだいじょうぶです。親としては外に決して出さない覚悟が必要ですから、まっさきにこの囲いをつくりました。
トントンとDIYしてる間「ここ」と「ビリー」はスヤスヤと眠ってましたが、おおり止めの木切れを床にビスで止めたときには、びっくりして、飛び起きました。「ごめん」を連発。
そのあとケアーに動画のとおり遊んであげました。
きょうは「ここ」の動画をYouTubeにUPしました。
もうメロメロの私、そして新しい「家族」の「ここビリー
まるで「トムとジェリー」のようになかよくあそんでます。
おかげさまでみんな元気に暮らしています。

家族の一員、自分から。

この自覚が必要やとホンマ思います。

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