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自由と自然その似て非なるこころ。
1,自由なこころ
こころを科学するわけではありませんし、心理学を論じようというわけでもありません。わたしの内なる心情を吐露するばかりですから、皆さまの参考にならないかもしれません。その大前提で読んでいただければ幸いです。わざわざ「心」と書かずに「こころ」とした理由です。
どう考えようが思おうが全く自由なはずです。ところがその主人公たる自分は全く不自由な存在だと最近しきりに感じるのです。観念というやつです。固定観念というやつは、生まれたときから、いやDNAかなんか知りませんが生まれながらにもってるやつかもしれません。
経験や体験によって得られたというか知らずに身についたものかもしれません。なにしろ偏見が強いのです。ようするにあまり良く考えない質なのです。有り体に申し上げると「悪く考えてしまう」傾向が強いんじゃないかと、しきりと感じるんですね。潜在意識かなんかわかりませんが。
学者にいわせればこんなことは立ちどころに分析してしまうでしょうが、くせ性分というものは十人十色、千差万別。そんなにあっさりと断言されたんじゃたまりません。考え過ぎかもしれませんが、これは考えておく必要があると思ってワザワザこのnoteにまで吐露している次第です。
本来、自由であるはずのこころが、不自由であることに気づいている。
具体的な話は昨日、電気屋さんの見積を大工さん通じて頂いたのですが、まず「高いんじゃないの?」と思ってしまったのです。それから具体的に依頼した内容や世間の相場、過去の関係性、等々冷静に整理してみても、どうもあまりいい感じしないんです。何なんでしょうね。自問自答ですか、ああでもないこうでもないと、妙に引っかかるんです。
ちっとも自由じゃない「こころ」は「気持ち」に近いのかもしれません。とくにお金が絡むと明確に本性を剥き出しにするように思います。
やはり潜在意識の影響かもしれません。とにかく自分だけで解決しようとしないで友人と相談してから決めたたほうが良さそうです。
2,自然なこころ
自由という不自由なこころに対して、自然なこころは涙に表れます。何度も書いてますが「ブギウギ」という連ドラには毎日泣かされてます。理屈やおまへん。ワテが勝手にそう思いますねん。おっと感染ってしまいました。不自然なところは感情移入できないんです。
自然な感情といってしまえばそれまでですが、自然なこころには大きく分けて二つの側面があると思います。ひとつは感情面。もうひとつは理性面です。やはりこうあるべきだなぁといった、素直で優しい理知的な人間性の部分かと思います。これも少しですがわたしにもある部分です。
自然は美しいですね。厳しいことも圧倒的に多いわけですが、たとえば自然災害。自然のせいにはできません。人間が生かされているわけですから、戦争と違いますから、くやしいけれど認めなければなりません。憎めないのです、自然は。なぜなら人間も自然の一部だからです。
人間の自然な心、わたしの自然なこころ、みんなの自然な心。自然なこころで生きていくほうが楽ちんだと思います。自由を標榜して苦しむより、自然なこころで柔軟に対応していく。そうした柔らかで堅い「柔剛」というんでしょうか?「虚実」かもしれません。自然体の自然ですかね。
3,まとめ
何もまとめる必要はないのですが、自分なりにおさらいしておきます。
1,自由なんてあるようでないこと。
2,自然でいいじゃないか。それが自然なんだからってこと。
自然は立派だなぁってことだけは強く感じています。
わすれた頃にやってくる天災(自然災害)
わすれずにやってくる季節。
わすれたくない自然環境。
わすれられない悲しみ。
自然のチカラはまさしく神業。
自然なこころは、まるで親心。
自然に忘れないように、ここに書いておきます。
わたしだけのための備忘録として。
この記事を書いてから小雨の中を朝の散歩に出かけました。
雨合羽をきて乳母車を押しながら歩道のゴミを拾い集めている老婦人に出会いました。思わず頭を下げましたら会釈を返してくださいました。
自然な心でされている婦人の日課だと思います。
今日の一言書道は、わたしの座右銘です。
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ご覧いただき感謝にたえません。
令和6年2月22日
念水庵 正道