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禅の道(44)仏塔

仏塔とは何か?その由来と現代的意義

仏塔(ぶっとう)は、仏教のシンボルとして、歴史的にも精神的にも重要な役割を果たしてきました。仏塔は単なる建築物ではなく、ブッダ釈尊(ゴータマ・シッダールタ)の教え、遺骨、精神的な価値を象徴するものです。その起源から現代に至るまでの進化と意義を見ていきましょう。


仏塔の起源

仏塔の起源は、釈尊の遺骨(仏舎利)を納めるための墓標的な建造物に遡ります。釈尊が涅槃に入った後、その遺骨を巡って信者たちが激しい議論を交わしました。最終的にご遺骨は8つに分けられ(舎利八分)、それぞれを納めるためのストゥーパ(stūpa)という半球状の塚が建てられました。

ストゥーパは、インドの土着信仰で用いられた塚を原型としながら、仏教の広まりとともにその形状や用途が進化していきました。初期のストゥーパは単なる土の塚でしたが、次第に石やレンガで覆われ、さらに装飾が施されるようになりました。これらは単なる遺骨の保管場所にとどまらず、ブッダの教えや悟りを象徴するモニュメントとしての役割を果たしました。

仏塔の形状とその意味

ストゥーパの形状には深い象徴性があります。その基本的な構造には次のような要素が含まれます。

  1. 基壇(プラットフォーム)
    安定感を象徴し、教えの土台を意味します。

  2. 半球状の本体(アンダ)
    宇宙の完全性や悟りの境地を表します。

  3. 尖塔(ハルミカやチャトラ)
    天へと続く道を象徴し、悟りの境地からさらに広がる世界を意味します。

これらの要素は、単なる装飾ではなく、仏教の宇宙観や精神的なメッセージを表しています。

仏塔の広がりと地域差

仏塔のデザインは、仏教が広まるにつれて地域の文化や建築様式と融合しました。たとえば、

  • インド
    原型であるストゥーパが中心。代表例はサーンチーのストゥーパ

  • 東南アジア
    パゴダ(ミャンマー、タイ)として発展し、細長い塔状の形が特徴。

  • 中国・日本
    多層構造の仏塔(多宝塔)が登場。五重塔などがその例です。

特に日本では、木造建築の技術と結びつき、仏教美術の一つとしての芸術的価値を高めました。

現代における仏塔の意義

今日、仏塔は仏舎利(釈尊の遺骨)を納める場としてではなく、心の平安を求めるシンボルとして存在しています。多くの仏塔は観光地としても知られていますが、それ以上に仏教徒や訪れる人々にとっては精神的な安らぎの場です。

また、仏塔は現代社会の中で以下のような新しい役割を担っています。

  1. 平和の象徴
    特に核兵器廃絶や戦争の悲劇を忘れないための「平和塔」として建設されることが多いです。

  2. 瞑想と修行の場
    仏塔周辺では瞑想や祈りが行われることが多く、忙しい日常生活から離れて内省する場としての役割を果たしています。

  3. 文化交流の場
    仏教徒だけでなく、異なる宗教や文化を持つ人々が集い、相互理解を深める場ともなっています。

仏塔に込められたメッセージ

仏塔は、釈尊の「無常」という教えを象徴的に伝えています。遺骨を納める行為そのものが、物質的な形の一時的な存在を示しており、それを見つめることで「変化し続けるこの世界で、私たちは何を大切に生きるべきか」を問いかけます。

また、「ブッダの教えは生き続ける」というメッセージを伝え、仏塔は私たちにとってブッダ釈尊の存在を象徴するものとなっています。


まとめ

仏塔は釈尊の遺骨を納めるために生まれたものでありながら、形状や用途を変えながら仏教の精神を伝える役割を担ってきました。現代においても、仏塔は瞑想、平和、文化交流の場として人々の心に寄り添い続けています。それは単なる建築物ではなく、「悟りへの道」「平和と調和」「無常と希望」を象徴するものとして、私たちを深い思索へと誘う存在なのです。


日本各地にある仏塔、墓地のなかにも「五輪塔」がみられます。これらは全て「ストゥーパ」が起源です。「卒塔婆(そとうば)」は五輪塔を模したもので、ストゥーパの音訳です。このように、現代もなお「供養」の象徴として生き続けています。

私が、今日なぜ「仏塔」を取り上げたかと申しますと、仏像を祀る以前から祈りの象徴であった仏塔は、法華経の「如来神力品」の最後のほうに出てまいります。道元禅師が最晩年に経行しながら呟かれた最も重要な部分です。それを昨日庵に帰って、ふと思い出したからです。

是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し、解説・書写し説の如く修行すべし。所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。
所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。

妙法蓮華経「如来神力品」より(強調筆者)

この解説はともかく、「塔」を立(起)てる根本的な意義の再確認です。わが庵にも小さくとも塔を立てたい。これが供養の本義でありますゆえ。

塔を立て供養すべし

この一句が胸に響いております。


ご覧いただき有難うございます。
念水庵



にゃんすいあん日記14日目

きのう夜おそく戻って、にゃんたちの様子をのぞきこみました。
ここは、すぐに近寄ってきました。
ビリーは、すぐにかくれてしまいました。
おみやげの「ねこじゃらし」で必死になってあそんでました。

この動画と写真は明日以降にUPいたします。
きょうは、ここまでです。
また、あした。。。

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