獅子吼(ししく)
仏教の本質シリーズ第三弾は「獅子吼」について説明いたします。タイトル写真は近所の飼い猫ですが、獅子はもちろんライオンのことです{笑
✅「獅子吼」とは、仏教(特に禅宗)で使われる言葉で、「獅子のような大声」を意味します。でも、これはただの大きな声ではありません。獅子が吼える時、その声は力強くて、周りの動物たちはみんな耳を傾けます。仏教で「獅子吼」という時、とても大切な教えや真理を、はっきりと力強く伝えることを表しています。
✅獅子吼の話をする時、よく出てくるのは、大きな声で真理を伝えることの大切さです。仏教では、人々が真実を理解し、悟り(すなわち、人生の真理や意味を深く理解すること)に近づく手助けをすることが目標です。獅子吼は、その真理を伝える方法として使われます。
✅例えば、ある有名な話では、釈迦(仏教の創始者:ブッダ釈尊)が大勢の人々の前で花を持ち上げただけで、何も言わずにいました。その時、一人の弟子(大迦葉 マハーカーシヤパ:釈迦の十大弟子の一人)が微笑んだのです。この弟子だけが、釈迦が何を伝えようとしているのかを理解したのです。この話は「無言の獅子吼」として知られており、言葉を超えた教えの伝達を示しています。(拈華微笑)
✅禅宗では、このような直接的で、時には言葉を使わない教え方が重視されます。なぜなら、真実や悟りは、単に言葉で説明されるものではなく、個人が直接体験し理解するものだからです。獅子吼は、その強力なメッセージや真理が、人の心に深く響きわたることを意味しています。
✅禅宗では、獅子吼はまた、師匠が弟子に対して真理を伝える際に使う方法としても表れます。師匠は、時には厳しい言葉や行動を使って、弟子が自分自身の中にある真実を見つけることができるように助けます。このプロセスは、弟子が自分自身の中にある無限の可能性に気づき、自分自身を超えて成長する手助けをします。
✅獅子吼は、仏教の教えがどれだけ力強いかを象徴しています。獅子の声が森全体に響き渡るように、仏教の真理は人々の心に深く響き、彼らの生活や考え方に大きな影響を与えます。
✅獅子吼は、仏教(特に禅宗)において、真実を力強く、時には直接的な方法で伝える大切さを教えてくれます。それは言葉だけでなく、行動や態度を通じて、人々が真実を理解し、より良い生き方を見つける手助けをすることを意味しています。
拈華微笑
昔々、遠いインドの国に、深い森の中で小さな村がありました。村の人々は皆、心やさしい釈迦という名の賢い僧侶を尊敬していました。釈迦は、人々に幸せの秘訣を教えることで知られていましたが、彼の教えはいつも言葉だけではありませんでした。
ある日、釈迦は村の人々を大きな木の下に集め、彼らに大切なことを伝えると告げました。人々は、釈迦が何を話すのかとわくわくして集まってきました。でも、釈迦はただ静かに立ち、言葉を一つも発しませんでした。その代わり、彼はゆっくりと手を伸ばし、地面に落ちていた一輪の美しい花を拾い上げました。
釈迦はその花を高く持ち上げ、そっと見つめながら、村の人々を一人ひとり見渡しました。でも、まだ何も言いません。村の人々は戸惑いましたが、釈迦の目は優しく、彼の顔には穏やかな微笑が浮かんでいました。
その時、群衆の中から一人の少年が前に進み出ました。彼の名前はカシャパ。カシャパは釈迦のもとへ近づき、そして彼も微笑みました。それは、言葉ではなく、心で語り合う二人の微笑みでした。
この瞬間、釈迦が何を伝えたかったのか、カシャパは理解しました。それは、真の美しさや幸せは、外にあるのではなく、私たちの心の中にあるということ。そして、最も大切な真理は、言葉で語るよりも、心で感じるものなのだということでした。
村の人々は驚きましたが、やがて彼らも理解し始めました。釈迦は言葉を使わずとも、花を通じて強いメッセージを伝えたのです。この出来事は、「無言の獅子吼」として知られるようになりました。それは、真実の声は、時には静けさの中で最も力強く響くという教えです。
カシャパの微笑みは、彼が心の奥底で真実を理解したことを示していました。そしてこの日から、カシャパは釈迦の大切な弟子となり、その教えを多くの人々に広めていくことになりました。
✅この話は、真の理解やコミュニケーションは言葉だけではなく、心で感じることができるという大切な教えを伝えています。そして、私たちの中には、言葉を超えた美しい真実が隠されていることを思い出させてくれます。
みなさまのこころにとどけ水の声
ご覧頂き有難うございます。
念水庵 正道