縄文時代6:一万年以上続いた最大の理由は何か?
縄文時代が1万年以上続いた大きな理由の一つとして、自然との持続可能な関わり方が挙げられます。縄文時代は、約1万5千年前から約2千500年前まで続いたとされ、その時代の人々は自然との調和を保ちながら生活していました。持続可能性の観点から、彼らの自然との関わり方を掘り下げてみます。
1. 狩猟採集と採集農耕のバランス
縄文時代の人々は主に狩猟、漁労、採集を行い、その中でも動植物を無駄なく利用する生活をしていました。彼らは大型の動物を狩る一方で、動物が減少しすぎないように適切な間隔を持って狩猟を行っていました。これにより、生態系が崩れることなく、動物や植物が持続的に繁殖できるよう配慮していたと考えられます。また、採集も重要で、どんぐりや栗などの木の実を収穫し、その管理も行っていたため、森林を守る一因となっていました。
2. 農耕よりも採集に依存した生活
縄文時代では本格的な農耕はほとんど行われておらず、部分的に農耕を取り入れながらも、基本的には採集生活が中心でした。農耕を進めすぎると土地を酷使し、土壌が劣化してしまうリスクがありますが、縄文時代の人々は自然の資源を直接的に利用し、その恩恵を長期的に持続させることを意識していました。この「自然のままの環境を利用する」方法は、自然の再生能力を超えることなく資源を使い続けるという、現代の持続可能性の考え方に通じるものがあります。
3. 環境に適応した住居と道具の使用
縄文人は気候や地形に適した住居を建設し、環境に負荷をかけない生活をしていました。例えば、竪穴住居は地面を掘って作られたもので、断熱性に優れ、燃料を節約する効果がありました。また、木材や土、石など自然素材を使った道具を作り、無駄な消費を避けていました。道具や住居を修理して使い続ける文化も発達しており、これも資源の持続的な利用に寄与していたと考えられます。
4. 自然との精神的なつながり
縄文時代には、自然を敬い、その一部として生きる精神が深く根付いていたとされています。考古学的な遺物からは、自然信仰やアニミズム的な信仰が見られ、山や川、動植物に神聖さを見出していました。このような自然と人間の密接な関係は、自然環境を尊重し、破壊することなく共存する意識を育んでいたと言えます。
5. 循環型の生活様式
縄文人は廃棄物の処理にも工夫していました。食べ物の殻や骨などを堆積させた貝塚などは、単なるゴミ捨て場ではなく、肥料や再利用の場所でもありました。すべてのものを資源として扱い、無駄を出さない循環型の生活を送っていたことが分かります。こうした自然に還元される資源の利用方法も、持続可能性の重要な要素です。
まとめ
縄文時代が1万年以上にわたって続いた理由は、自然との調和を重視した生活様式にあります。自然資源を必要以上に採取せず、自然環境を尊重しながら利用することが持続可能な社会を築く基本的な考え方となっていました。現代においても、環境問題や資源の枯渇が課題となっている中で、縄文時代の人々の自然との付き合い方には多くの学ぶべき点があるでしょう。
上の動画は淡々と述べていますが「自然と優しさ」に泣けました。
総選挙が始まってマスメディアやネットをはじめ至るところで論争というより揚げ足取りにも似た不毛な議論を多く見かけます。こうした言論の自由はもちろん尊重されるべきものですが、あまりにも鬱陶しいので、わたしは極力そのような喧騒を避けております。
このような社会のあり方が本当に良いのでしょうか。時代の流れとはいえ、少し不安になってまいりました。なにも縄文時代に戻れと申しているのではありません。人々の生活苦や紛争あるいは多発する凶悪事件や周辺諸国との軋轢などなど日本の内外を取り巻く環境が大きく変わっています。
昨日、マキノに帰ると周りにはほとんど人の姿がありません。ときおり鹿や猿が出没する程度です。いたって平和であり、山々の緑は自然のままに彩りを少しずつ変えていきます。喧嘩も喧騒もありません。動物でさえちゃんとテリトリーを守ってそれぞれに生きています。
クマの出没はたしかに脅威です。かれらとて山奥に食べ物がなくなって里におりてきたのでしょう。何か無いかな?といった自然な行動です。生きるためとか理屈をつけていません。お腹が空いたけど何も食べるものがないので探しにきた。♫~それを猟師が鉄砲で打ってさ~♫であります。
不争
ご覧頂き有難うございます。
念水庵
参禅堂の内部をかんたんに紹介しています。
ナレーションはわたしの地声です。
いずれ臆面もなく顔出しする予定です。
動画(どうか)よろしくお願いいたします笑
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