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絶対評価

何かを決めるには基準があると便利だ。

僕は好き嫌いの軸と合う合わないの軸を持って判断するようにしているような気がする。

これは創作物や人物像など大抵のことには当てはまると思っていて、例えば完結してない作品に対して好き嫌いの判断はくだせない。

作品の途中経過で考察したりキャラクターを批判したりするのはリアルタイムで楽しんでるからこそ出来ることだと思うが、そういう人にはなりたくないと思うことがある。

作品の世界観の中で楽しむ分には全然問題ないと思うのだが、自分の妄想が膨らみすぎてたり、展開によって掌を返すような受取手はリアルでの対人関係も下手くそなんだろうなと感じてしまう。

自分の推しキャラが途中で変なことになっても好きでいてやれよというのが僕の感覚だ。

一度信じるとか守ると決めたなら自分にはそう決めた責任があると思うから、簡単に誰かを推したり叩いたりするのはおかしいと思うのだ。

だから数年後に続編とかを出す作品が嫌いだ。

コンパクトにまとめて綺麗に完結する方が絶対に美しいのに、商業的な理由で10年後20後に完全新作とかメモリアルなんちゃらとか言って作品が嫌いになる要素を作らないで欲しい。

僕はこういう性格だから、胸を張って好きだと言えるものがほとんどない。だからようやく完結して好きだと言えるようになったものが壊れるのが怖いのだ。

端的に言うと簡単に信用しない人に近いかもしれない。

僕は直接会ったことのない人に対して憧れや尊敬の心を持てないので、有名人のファンになったりオリンピックで感動したことがない。

もちろん凄いな〜とは思うが、メディアを通して見えるものや切り取られた言葉だけでは僕には信用材料が足りないのだ。

僕自身がこうやって発信してるのは応援や仲間が欲しいからなので、実はそう言った点で矛盾してる部分があったりする。

でもこれもちゃんと筋は通っていて、発信してる人には"周りからよく見られたい人"と"ありのままを受け入れられたい人"の2種類あると思う、

僕は後者で、ブランディングとかは一切やっていない。もっとも、様々な媒体で発信してたらブランディングして使い分けするのなんて馬鹿らしくてとてもやってられない。

好きなものは好き、嫌いなもの嫌いと表明することで、本来どういう人なのかは判断する材料は提供できてると思う。

あとは公式LINEを使って1対1のチャットを使えるようにしたので、そこで本当に応援や協力してくれる人と繋がれたらいいなと考えている。

正直今日はやる気がでなくて執筆を後回しにした結果適当に何か書かないといけないと思って書いてるので、途中から本来書きたかったことと違う方向に進んでしまった。

最近自分はお喋りが好きなのかもしれないと感じ始めたのだが、楽しくお喋りできる相手がいないので困っている。

僕は第一印象でほぼどんな人かあたりをつけることができるので、仲良くなるかならないかを早い段階で線引きしてしまう。

そのお陰で嫌な思いをすることは少ないし、逆に仲良くなりたいと思う人は確実にいい人を見抜けるようにはなった。

でもこの絶対評価的な人の見極めは、ある種ハードルが高くなって自分が孤立するだけな気もしている。

絶対評価の反対の意味は相対評価だと思う。

周りの人や世間と比較してどうかと考えた方が、その時代毎に柔軟な価値観で幸せな生活を送れるのだろうか?

まぁ何にしても僕はもう相対評価に流されるのはやめにしたから、それで不幸だと思われても、社会的な信用がなくてもどうでもいいと思う。

やりたいようにやって死ぬなら文句なんてない。

逆に文句言う奴はやりたいようにやれない代わりに、誰かに責任背負ってもらってるんだ。

合わないならそっと離れればいい。判断が下せてないなら黙って見守ればいい。

攻撃したりなすりつけたりしても楽しい未来なんて待ってないよ。

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