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天津2024 修行編1

 今回の旅は大きな目的が2つあるが、そのうち一番大事にしていたのが武術を師父に見てもらうことである。自分が拜師してから4年ネット上以外で同門の人々と接する場所はなく、それはもちろん師父も例外ではなかった。一人でできる限りを尽くした4年間であり、限界を感じ始めている部分もあった。もちろん継続的な練習と発見はあったが門派としての進歩を自らに見出したかった。
今回は8月25日と9月1日に師父の練習場であとは8月27日に師兄の武館で新しいものを習う事になっていた。ただ8月25日は雨が降ってしまい稽古が中断した関係で、28日師父は特別に見てくださることになった。
これを書いているのがその練習を終えた午後の事である。
今回は師父に双藤棒を習い、師兄には悩んだ末拆手を習うことにした。拆手は对练で一人ではできないのでもって帰ったあと困るんじゃないかと心配していただいたが、どうしてもその感触を覚えておきたかったのでお願いし開と捧の2つを習ってきた。
双藤棒と拆手の具体的な内容は此処では述べないが練習の中で師兄や師父と話したことの一部が興味深かったので書いておくことにする。師父も師兄も実戦派の人であり、本門の武術の本質というのは実戦の中において初めて評価されるということは幾度も強調された。
 師父の方がその感触がより強く実戦とは何かといえば自己防衛であるとの事。暴力に晒された中で素早く反応しさんと対応して終わる。自らを守るということを考えなさいとのことだった。
 師父はその昔シュワイジャオで向かうところ敵なしで、八卦掌しても対抗できる人がいなかったが唯一これはすごいと思ったのは周恩来の要請でやってきたかつての女子バレーの日本代表の監督である大松博文だそうで彼を体育館で見た時の衝撃はすごかったそうだ。
 師父はシュワイジャオをずっとやってチャンピオンになったあと、シュワイジャオが若干下火になり大会も開かれない中、何か新しい門派をしようと思い色々見て回ったが、八卦掌の64掌がシュワイジャオの練習と近いものを感じ、これだ!と思い入門した。なので最初は先天ではなく後天から習い出したとのこと。後天→先天→機械類と進んだのだそうだ。
 師兄は若いころに天津代表のボクシング隊に八卦掌のみで選抜され試験をクリアしたとのこと。そこから彼はムエタイや散打も練習し他の内家拳も習い様々な格闘技に精通することになる。そう言った経験を通して磨かれたのが今の自分の八卦掌なんだと言って、きっと君には君の経験から新しいものができるから古いものを把握して新しいものを持ってきて研究して付け加えるといいと諭してくれた。伝統というのは発展があってなんだよとの事。全くもって共感しかない話であると同時に師兄の細やかな歩法と距離感がボクシングで鍛えた影響があるのが確かに感じられた。ああ言う巧妙に昇華された物を自分も体現したいと思った。

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