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継続は力なりだが要注意|人生は短い

個人的に使い慣れていないことわざを聞いて、思わず考えこんでしまった。

それが「木に縁りて魚を求む(きによりてうおをもとむ)」。

あまり日常的に使われない気がするが、みなさんの周りではどうだろう。僕はあまり言われたことはないし、使ったこともない。

「木に縁りて魚を求む」とは、見当外れの無駄な努力をして、実現しがたい望みをもつことを指している。木の上に魚がいるわけがないのに、そこで魚を探し続けても、その目的は一向に達成されることはない。

「継続は力なり」ということわざには一定の信頼を置いており、よく意識的に使っている。やはり三日坊主で終わらせては何事も身にならないし、そもそもその魅力に気づくこともできない。

だけど、その継続も目的が明確でなければ、どこかで辞めて変化を求める必要がでてくることはわかる。しかし、今まで継続していたことをそう簡単に辞める事はできないもので、気が付いたら何年も続けていたりするんではないか。

例えばYouTubeの動画投稿で稼ぐという人たちも、継続的に投稿をし続けることでPVが延びていくことから、継続する忍耐力が大切だという話はよく聞く。noteも含めたブログも同じ類であり、数年間続けることでようやく成果が出てくると言われるものだ。

そういったことも、もしそれが金儲けのためだったとしたら、どこかで損切しなければならない。「継続は力なり」かもしれないが、ビジネスの世界では「継続すれば金が稼げる」わけではないのだ。

そんなことを考えていたら「木に縁りて魚を求む」という言葉はすごく示唆に富んでいるように思えてきた。人生は短いのだから、無駄なことに努力をして時間を浪費し続けてしまうことは絶対に避けなければならない。

この言葉は会社員こそ意識すべきことかもしれない。運動も語学学習も、禁酒禁煙も三日坊主だという人でも、仕事だけは定年まで継続している。

仕事への情熱を失ったにも関わらず、毎月支払われる給料に対して麻薬の様に依存してしまい、今更辞めることなどできなくなっているという人も多いと思う。長年働き続けることは尊いことだけれど、その中身が重要であることも忘れてはいけない。

だから、何かを継続して頑張っている時も、心のどこかで「木に縁りて魚を求む」を思い出し、木の上に魚がいないか探すようになっていないかを意識しておきたい。

こうして書いておいて、僕自身が一番気を付けたいと思ってしまった。人生は短い。気を付けないと。

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