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日頃の行いが悪いことは不幸と関係があるのか

不幸に見舞われた時に「私の日頃の行いが悪いから」と自分を責めてしまったり、もしくは「あなたの日頃の行いが悪いからだ」と他人の不幸を指摘している場面をよく見かけると思います。

見舞われる厄災を日頃の行いと結び付けてしまう傾向を「内在的公正推論」と呼ぶようで、欧米人よりも日本人にこの傾向は強いそうです。

確かに日本にはいわゆる「精神論」が定着していた時代もあったので、そういった文化からまだ抜け出すことができていないのだと思います。

この様に日頃の行いに原因を求めた場合、それによって生活が向上するほど「日頃の行い」がよくなって成長していくのならば、それは悪いことばかりではないと思います。

しかし、不幸や厄災というのは、概ね予測不能で想定外の出来事がたまたま発生してしまったことに起因するので、それらを全てまとめて「日頃の行いが悪い」と決めつけてしまうのは、急いで結果を求めたがる短絡的な考え方のように感じます。

株式取引の用語で「ブラックスワン」という表現があります。「ブラックスワン」つまり「黒い白鳥」のことで、その特徴は3つあります。

それは、①予測できないこと、②非常に強い影響を与えること、③そしてそれが起こったあとにいかにもそれらしい説明がなされること、この3つです。

例えば、偶然事故にあってしまった人に対して、日常生活や仕事における特徴を引き合いに出して「あの人は運転に向いていなかった」と指摘をすることも、ブラックスワンの一種だと言えるでしょう。

同じように、病気になった人に対して「日頃の行いが悪いからだ」と言うのは、紛れもなくブラックスワンの③である「起こったあとにいかにもそれらしい説明」をしているに過ぎません。

ブラックスワンが教えてくれる教訓は他にもあります。「黒い白鳥」はあくまでも不確実なリスクの象徴であるというだけで、何もそれは悪いことばかりではないということです。

不幸や厄災というのは、一時的に人を困難な状況に陥れるかもしれませんが、困難に立ち向かいその経験を糧にすることで、その人をより成長させる一因にもなり得ます。

日本人は「内在的公正推論」の傾向が強いため、不幸や厄災に対して「日頃の行いが悪いから」と考えがちですが、一方で欧米人は「現在の不幸や厄災は、将来の充実した人生によって埋め合わされる」と期待する考え方を持つ傾向があり、これを「究極的公正推論」と呼ぶそうです。(参照:https://newscast.jp/news/0867360

もちろん日頃の行いを改善してより良い暮らしを実現していく努力は大切なことですが、日頃の行いの悪さと不幸や厄災を結び付けて考えてしまうと精神的に追い込まれていってしまいます。

人生は短いです。原因が不確かなことを気にしすぎて時間を浪費するのではなく、起こってしまった不幸や厄災を受け容れて将来に活かすよう、気持ちを切り替えた方が良いでしょう。

尚、ブラックスワンについては別の記事で詳しく書いていますので、興味のある方はお読みください。

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