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FIREとランティエと会社員

ここ数年でFIREという言葉が凄く流行り、SNS上では本当に良く目にするようになった。ちなみに僕は実際にFIREした人に会ったことはないが。

FIREとは経済的独立を果たして若いうちに会社を退職し、その後の人生を自由に生きることを指す言葉で、その収入源は株式を取り崩して得る場合もあれば、配当金を受け取る場合もある。

聞き慣れないかもしれないが「ランティエ」という言葉がある。内田樹の音声配信で僕は始めてこの言葉を知った。「金利生活者」のことで、17世紀~20世紀初めのヨーロッパでは多くのランティエが存在していたらしい。

当時のヨーロッパは通貨価格が非常に安定していたこともあり、先祖が購入していた国債を受け継いだ人はそれらを取り崩すことで充分に生活をすることができたという。そのなかで結婚をせずに扶養家族がいない者は労働をする必要性がなく、サロンで芸術を論じたり人妻と不倫をしたり、退屈な日々を埋めるように様々な活動をして生活をしていた。

19世紀のヨーロッパの小説を読むと「この人はどうやって生活してるんだ?」といった登場人物が出てくるが、彼らこそがランティエだという。最も有名なのはシャーロック・ホームズだ。

シャーロック・ホームズの様に事件を解決し続けることができればいいが、おそらく誰もがそんな日々を送れたとは考えにくい。ランティエ達は世間で何かニュースがあったらすぐに飛びついていたらしいから、よっぽど退屈だったんだろうなということはすぐに想像がつく。

中島らもが「教養とは、学歴でない。 自分ひとりで時間が潰せることができる能力である」と書いているが、教養がないランティエはきっと死ぬほど退屈な人生だったのだと思う。当時はSNSもないしYoutubeもない。

FIREという言葉が流行って数年が経つが、退職をした後にまた仕事復帰する人も一定数いるらしい。もしかしたら彼らも有り余る時間をうまく使えなかったのかもしれない。

現代の会社員について考えてみても、「仕事がしんどい」「仕事を辞めたい」としょっちゅう思いながらも、なんだかんだ粘って働いていうちに一定の達成感や楽しみを見出すようになってしまい、結局のところ長年働き続けている人は多いと思う。もちろん、FIREするほどの金がないからかもしれないが、退職した後にどう生きるかの見通しがたっていないことも原因だろう。

こうして歴史を振り返りつつ考えてみると、FIREした人にもランティエのなかにも、そして会社員にも、幸せになった人とそうではない人がいることがわかる。

有り余る時間を哲学や芸術を論じることに費やすことで、社会の文化的発展に多大な貢献をもたらすランティエもいれば、親のすねかじりと非難されて退屈な人生を過ごしたランティエもいたと思う。

資産運用を通して自由な人生を手にし、現代社会に新しい価値観を提供するFIRE生活者もいれば、数年で労働者にカムバックしてしまう人もいる。

組織における仕事を通して顧客と社会に多大な価値を提供しながら、仲間とともに定年まで幸せに働き続ける会社員もいれば、自分を社畜と卑下しながら辛い労働の日々を耐え続ける会社員もいる。

結局のところ、その状況において「どう生きるか」に尽きるんじゃないか。

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