タバコを辞めて十数年|禁煙者と喫煙者の共存について
若い頃にタバコを吸っていた時期があります。コンビニでアルバイトをしていた経験があり、レジ打ちをしているとお客さんに「マイセン8」とか「マルメラ」とか注文されるため、それは「マイルドセブンの8mg」「マールボロメンソールライト」のことなんだ、とタバコの名称を覚えていかなければならず、そうこうしているうちに自分でも吸ってみたくなってしまったのがきっかけです。
当時はまだ今ほど禁煙の潮流が強くなかったこともあり、喫煙者と禁煙者の分断はちょうど半分くらいに分かれていたような時代でした。現代のように灰皿が完全に撤去はされておらず、いたるところに喫煙スペースはあったのです。
当時の僕は一般的な喫煙者であり、大抵は2日に1箱くらい吸っていました。お気に入りはマイルドセブンの8mg、「マイセン8」です。今はメビウスと名称が変わったらしいです。何かとつけて生活の区切りのタイミングで一服をする習慣がついていました。
朝起きたらそこで一本、アルバイトの休憩があればそこで一本、食事をすれば食後の一本、何かをしている時に休憩をする区切りとしてタバコを吸っていた記憶があります。
もちろんタバコの味も香りも好きであり、絵に描いたように不健康ですが、音楽を聴きながらタバコを吸って酒を飲んでいるひと時が、それこそ至福の瞬間だったのです。
その他にも、夜中に物思いにふける時、タバコに火を着けてスーッと煙を吸い込み、夜空に向かってふぅ~っと煙を吐き出し、今までの出来事やこれからの人生を考えたり、考え事をするのにはいい習慣だったような気もします。
しかし、僕は23歳の頃に胃がんに罹ってしまったので、そこで必然的に禁煙することになります。
よく、禁煙をすると禁断症状が出たり、色々と大変な現象が現れるようになると聞きますが、僕の場合は胃を全摘出したため、タバコどころか食事もしなくなったので、それどころではなかったというのが正直なところです。
がんにはなってしまったけれども、ようやく禁煙することができたという気持ちもありました。そして、今では当時に比べて値段が高くなってしまっているので、いずれにしてもタバコを吸いたいとは微塵も思えなくなっています。
しかし、あれから10年以上経った今でも、時々タバコを吸っている夢をみることがあります。そしてタバコへの依存はニコチンだけでなく、習慣としても染み付いており、ポッキーの様な細い棒状のものを食べると、タバコを吸っていた時のことを思い出すのです。
周りには煙たがられていたと思いますが、煙を吸って吐くという、深呼吸をする習慣はその後失われていったように思います。今では休むことなく働き続けたり、何かしなければ落ち着かない、区切りのない生活をしている気がします。
あの頃に比べて、喫煙者は住みにくくなったように見えます。ひどく追いやられており、きっと肩身が狭いのではないでしょうか。
僕はタバコを辞められて良かったと思う一方、喫煙者がタバコを辞められない気持ちもよくわかるので、どちらの言い分もよくわかります。
時には喫煙者バッシングもされていますが、タバコ税を納めているわけだし、そこまで嫌わなくてもいいじゃないかと擁護したくなることもあります。
人は弱い生き物なので、ニコチンや習慣に依存してしまうとなかなか辞められるものではありません。タバコの企業が利益を求めなくなることもなく、そう簡単に喫煙者がゼロになることはないでしょう。
喫煙者と禁煙者は、対立を深めていくようではあまり良い解決は見込めないと思います。
大切なことは、喫煙者は周りに煙たがられることなくマナーを守った喫煙をし、禁煙者も過剰なまでに喫煙者を叩くことなく節度を守る。両者が気持ちよく暮らせるような社会を目指すことが大切です。
僕はもうタバコを吸いませんが、将来はタバコがこの世からなくなることよりも、両者が心地よく共存できる社会が再現性が高いのかな、とは思っています。
ちなみに、発がん率が0のタバコが開発されたら、吸ってしまうかもしれません。僕も弱い人間なので。いつの世も、弱い人間は多く存在するものでしょう。