サービス業に「助けを借りる」
去年読んで面白かった小説に『訴訟王エジソンの標的』という一冊があります。
この本の主要な登場人物は、発明王であるエジソンと実業家のウェスティングハウス、そして天才科学者二コラ・テスラの3名。
当時、実際に巻き起こっていた「電流戦争」を題材にした物語で、直流送電システムを構築していたエジソンと、交流送電システムを構築していたウェスティングハウス、ニコラ・テスラの対立を描いたものです。
そして主人公はポールという弁護士で、電流戦争で巻き起こった訴訟にまつわる問題を取り扱っていきます。ポールの視点でエジソン、ウェスティングハウス、ニコラ・テスラの3名の争いが描かれていきます。
この本のなかで、発明王であるエジソン、実業家のウェスティングハウス、天才の異名を持つニコラ・テスラの3名に対して、弁護士のポールが嫉妬を感じるシーンがあります。
その後の世界のインフラとなる「電流」を取り巻く争いだけに、彼ら3名は理系に秀でた頭脳とそれを実現させる行動力を併せ持っています。
エジソンは様々な発明(そして訴訟)を生み出し、ウェスティングハウスも実業家としてエジソンに挑みながら様々な製品を世に送り出します。また、企業家である二人とは異なり、ニコラ・テスラは学者肌の研究者として、交流システムの構築に多大な貢献を見せます。
弁護士であるポールは、電気という価値あるものを創造している3名と比べて、自分は問題を法的に解決しているものの、新しい何かを創造するような仕事ができていないと悩みます。
その後の世界を変える発明を巡る問題に向き合っている優秀な弁護士であるにも関わらずです。
このポールの悩みは、サービス業が主要産業となった現代にこそ、多くの人が共感できるのではないかと思っています。かく言う僕もそうだからです。
サービス業は、当たり前ですが「サービス」を顧客に提供しているので、物質的なモノを生みだすわけではありません。
そのため、お客さんからお支払いいただくお金とサービスへの反響が、生み出した価値だと考えやすくなります。形にのこるものがないケースが多いからです。
製造業やシステム開発の様に、実際にモノを生み出している仕事をしている人は、自ら作り上げたモノがそのまま仕事の達成感に繋がりますが、サービス業はあくまでも提供したサービスへの反響とお金が残るだけでは、達成感を感じにくい傾向にあるでしょう。
そのため「自分は価値あるものを生み出していない」「自分の仕事が何の役に立っているかわからない」こういった気持ちになってしまうのです。
しかし、先日読んでいたとあるエッセイで見つけた表現からヒントを得て、この考え方を払拭できそうだと気づきました。
人に対してだけではなく「助けを借りる」という表現をすることがあります。この言葉が仕事が生み出す価値を感じるためのヒントです。
「酒の助けを借りて」「詩と音楽の助けを借りて」こういった表現をすることがあるように、お酒も詩も音楽も、人の助けになっていることがわかります。
眠れない夜に「睡眠薬の助けを借りて」ようやく眠りにつけることもあるでしょう。ストレスが過剰に溜まっていて冷静になれない時「音楽の助けを借りて」心を落ち着けることだってあります。
もう少し具体的に言えば、忙しくて自炊をする時間が取れない時、立ち寄った定食屋は大いに助けになってくれます。人に出会う機会が乏しい中年の男性が、寂しさを癒すためにスナックに立ち寄っているのは、孤独をひと時だけでも逃れる助けを求めているからかもしれません。
『訴訟王エジソンの標的』でも、最後まで読めば、何も発明家やセールスマンや科学者だけではなく、ポールのような存在を世界は必要としていたことがわかります。
サービス業に従事する人々のことを、世界はもちろん必要としているのです。
もしやりがいに悩んでいたとしても「電流戦争」の訴訟を扱うような弁護士のポールでさえ悩むものなので、それは無理もない話だと思います。
世の中には役割というものがある。それがよくわかる小説です。