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みんなと趣味が合わない人|共通の価値観なき現代の生き方
インターネットが登場し、パソコンやスマホが一般家庭と個人にまで浸透した現代は、共通の話題を見つけることがかなり難しい。
僕が学生だった頃からこの現象は既にあったが、iPodやiPhoneを誰もが持ち歩き、Youtubeも普及してからさらに加速した印象がある。僕は大学では軽音楽部に所属していたが、バンドを組む学生のなかでも好きなジャンルは様々で、渋めのフォークが好きな学生もいれば、ヘヴィーメタルが好きな学生もいた。これではバンドの結成などできやしないし、飲みに行ったとしても、どの音楽の話で盛り上がればいいのかわからない。
それに比べてテレビが全盛だった時代は、誰でも話が通じる共通の話題というものがあった。僕より上の世代の人はその傾向は更に強そうだ。
人気の番組を観ていないと翌日の学校で話題に加わることができなかっただろうし、音楽のジャンルも今ほど細分化されておらずバンドも結成しやすかっただろう。
共通の価値観というものがあると、人々は団結もしやすいのだと思う。昔の日本人は誰もが豊かになろうと一生懸命に働いていたらしく、どれだけ忙しかろうと現代のようなネガティブな空気感はなかったとよく聞く。
ただ、何も昔の人が羨ましいといったことを言いたいわけではない。現代は個人が自分の価値観のもと自由に行動ができるようになったけれど、それと引き換えに自分とは異なる価値観の人と共通の話題が乏しいなか、コミュニケーションを取る必要があるということなのだ。
そして実際に僕は現代のこの感じが嫌いではない。「共通の価値観」による団結は心強く楽しいものだとは思うが、面倒なことの方が多い。汗と涙のメンバーシップも僕はあまり好きではない。
異なる価値観を持っているお互いのことを、程良い距離感で干渉し過ぎずに知っていくくらいの方が、仲良くなっていくうえで面白いとさえ思える。なぜわざわざ似た者同士で一緒にいなければならないんだ。
孤独に陥りやすかったり、セーフティネットとしての機能も乏しくなってしまった現代の社会だが、価値観を拡げていくにはいい社会だと思う。
要するに何が言いたいかと言うと、みんなと趣味が合わないのは当然だという事に尽きる。そんなことで落ち込まず、自分の価値観を誇って楽しく生きている方がいいだろう。