無名でいるのも悪くない|学歴は本当に必要なのか
あまり有名ではない大学を卒業しています。東京都内にある小規模な私立大学で名前を聞いてもピンとこない人がほとんどのようです。
そういった出身ということもあり、大学時代の友人と話すと「国公立や早稲田、慶應を出ている人はいいよなぁ」といった話題になることがあります。有名校の滑り止めとして入学している人も多い大学なので、コンプレックスが残っているのかもしれません。(ちなみに僕は第一志望で入学している)
有名大学卒業という肩書きがあることで、仕事でもプライベートでも期待をしてもらえることが利点です。若いうちから大きな仕事を任せてくれるかもしれませんし、社会的な信頼も通常よりも高くなるのが一般的です。
そのため、僕も社会に出てから「期待をされている」という経験をあまりしてこなかったように思います。自分にとって価値あることをしていても、他の人が褒められているのを見てモヤモヤしていたことの方がたくさんあったような気がします。
これは株式投資に例えて考えてみることで納得がいきます。
有名大学を卒業した人はその人に関する情報も多く成長が見込まれることから、投資家に高い値段で買われることを意味します。高値で買われることで市場からの期待は更に高まり株価もどんどん上がっていきます。
その様に考えると「やっぱり有名大学に進学しておいた方が良かったのかもしれない」と思ってしまうことがあります。「期待」というのはそのまま価値に繋がるのです。
しかし、個人的には期待をされない生き方も悪くないと考えています。
特に若い頃は責任に対しての認識がどうしても強くないことから、期待が重圧に変わってしまうことが多くあるからです。「期待に応えられなかったらどうしよう」と思いながら、リスクを取る行動ができるかどうか、正直なところあまり自信はありません。
無名の大学出身である僕は特に誰かから期待されることもなく、多くいる社員のうちのひとりと思われているだけだと思っているので、有名校出身の人たちのように重圧を感じることなく積極的にリスクを取りに行くことができます。(有名校出身の人が必ずしも重圧を感じているとは限りませんが)
そしてその積極的なリスクテイクがリターンに繋がって成果を挙げたとき、周囲の視線は「あいつ結構やるじゃん」といったプラスに転じるリアクションに変わることがあるのです。
成果を出したことによって得た期待というのは、重圧ではなく評価をしてもらえている喜びに変わります。
有名であることのアドバンテージを活用することはできませんが、無名には無名なりにうまくいくケースがある、ということは多くの若い人に知ってもらいたい事例ではあります。
無名でいるのも悪くないものなのです。