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喜びの絶頂を全く感知できていないことについて

コンサルについて話すとき、
「僕の知らないところで、あなたの何かがうまくいって喜びの絶頂にいたとて、僕は全く感知できていませんよ」
と言います。

僕が昨日、広島の原爆ドームの夜の、佇まいを見て感じたことについて、この読者の誰も知る事はないでしょう。言ってもないし伝えてもいないから。

そんなもんだと思います。僕の家族ですらそうだと思います。
もっと言えば、
助けて!と言われたとて、それがどれくらいの程度困ってるかなんて知らないんです。
コンサルし、乗り切っただいぶ後になって、は?そうだったの?と知ることがあります。
たまにこのnoteでも動画をシェアしてる「ブートキャンプ」の相方の会社は、昨年までの売り上げの9割が元請からくる仕事でしたが、今年はその仕事が9割減。自ら営業獲得した仕事で9割を見事に埋めてました

たりない
と言われても、
「鼻毛が枯れそうなくらい」
とか
「不安で寝れない」
とか言ってくれなきゃ。いや、言ってくれてもわかんないですよね。
昨年いくらが、今年はいくらだ。
とか言ってもわからないかも

はい、というわけで、言われてない事は、それがあなたにとってどれほど重大であってもこちはにはそれを知覚する術がない
いってもらっても、あなたほど受け止める事はできない

何が言いたいかというと、それがまさに第三者メンターを使うメリットではなかろうかという事です
よく、「わかってくれない」
「理解力が低い」
と思いたくなりがちな我々ですが、しかしながら、そんなことをいっさい分かってない、または分かってもらおうとすることの方が不要な存在が第三者であり、第三者だからこそ出来る提案をしてもらうことに期待しているのではないかということです

とても喜ばしいことを伝えて「良かったね」を期待するのかそれとも
良い時こそ魔多し、このリスクがあるよと言ってもらったりとか、さらに良いことの上乗せのチャンスを指摘してもらうべきではないかと思うんです。
あらゆるイベントが起きたとき、視野は狭くなりがち
イベントがなくても常に、サーチライトくらいの視野しかないのが人間

夢や希望、幸不幸
そんなことでバイアスがかかって視野狭窄の中で、一緒に喜んだり悲しんだわりするよりも、、一定のリズムで「こうしたらええのでは」を言ってもらえる

「僕の知らないところで、あなたの何かがうまくいって喜びの絶頂にいたとて、僕は全く感知できていませんよ」

是非、その状態を自分自身で認知して、他者に何かの同意や意見を求めるときの期待値調整をしていただけたらな、と思います。

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