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【494球目】44期経営計画発表会

先日の3月15日に44期の経営計画発表会中期経営計画発表、そして表彰式を行いました。
前年に引き続きオンラインにて開催です。今日はそのお話です。


経営計画発表10周年

初めて経営計画発表を実施してから今回がちょうど10回目10年になります。

10年前のことをよく覚えています。当時は、自分でも担当や仕事を持っていました。専務という役職はあれどやっていることは、全てが現在の仕事です。そんな中で漠然と、経営計画発表をやろうと考えました。当時、西神戸LCの改善に川崎重工のOBが来てくれていましたので、その人に聞いてもらいながら作成をしていきました。当時、私の発表を聞いてくれたのは15名。そこから三陽工業の経営計画発表はスタートしています。


第35期経営計画発表

10年前の経営計画書の冒頭はこんな文章から始まっています。

三陽工業は今期35期を迎えます。
35年前私はまだ1才でした。35年が経過し未だ三陽工業が存在するのも、先代の会長及び社長を含めて、全ての社員のみなさまとお客様のおかげです。ありがとうございます。
設立の1980年から2014年、この35年間とこれからの35年間が全く異なるものになることは紛れもない事実です。
リーマンショック後のこの5年間、100メートル走を全力で走るかのごとく突っ走って来ました。多くの仲間に助けられて今に至ります。売上が落ち込み人数が激減した頃から比べると格段に変化しています。
これからの5年間は同じく全力で走りながら、1つ1つを磨き上げる、そんな5年間にしていきます。
その第1歩がこの経営計画書です。
10年後見返すと恥ずかしい様な内容かもしれませんが、今の想いをそのまま文書に落としています。来年、再来年、その先も進化をさせていきます。
最後にこの会社で働くみなさまとその家族の幸せを実現するために、皆様と共に三陽工業を進化させたいと思っています。
この1年間もよろしくお願いします。
                      平成26年4月1日
                      代表取締役専務 井上直之

10年後見返すと恥ずかしいと予言してますね。そして、その予言は当たりました(#^.^#)10年前ですから、まだ生産推進グループは発足していません。そんな経営計画書には、こういった記載もありました。

製造+物流+人材派遣+〇〇→新規事業

何か新しいことをやらないといけないとは思っていたようです。そんな想いが数年後の生産推進グループへと繋がっていく訳ですね。このままではいけないという危機感は確かにありました。ただ、それが何なのかは明確にはなっていませんでした。その想いこそが、生産推進グループが生まれる種だったと考えています。


10年前の自分へ

10年前の自分に言葉をかけてあげるとすればどういった言葉をかけるだろう。そんな事を考えてみました。この年の経営計画書は内容に乏しく本当に恥ずかしくなります。この翌年の経営計画書を見て見ると、1年前とは格段に良くなっています。自分で良くなっていると言うのも変ですが。翌年の36期には、生産推進グループへと繋がる様な思考、行動、そして人の名前が挙がって来ています。何も分からずに始めた最初の経営計画書。10年経ったいま、その時の熱量だけは認めてあげようと思います。どんな熱量かと言うと、三陽工業という会社を良くしたいという熱量です。

そして、いま10年前の自分自身が作成したものを振り返って、多くの気づき学びがありました。過去の自分を超えること。良くも悪くも経験値は増えています。三陽工業においての武器は比較にならないくらい増えています。仲間も格段に増えて、規模も大きくなっています。この時の純粋な熱量にいま負けていないか??そう感じた自分がいます。

改めて、この44期、私自身と三陽工業の覚醒の年です。最も大切なこと、その原点をこの10年前の資料が教えてくれました。熱量=想いですね。過去の自分を超えていけるように、今期やりきります!!

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

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井上社長|三陽工業株式会社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!