【435球目】三陽工業・動乱期⑦
リーマンショックのお話の続きです。暗い話が多いですが、続けていきます。
第30期
2008年9月に起きたリーマンショック。2009年3月までは派遣契約も残っており、当時29期目を迎えていた三陽工業は前年と比較して多少の売上減、利益減で終わっています。そして、本来であれば節目でありお祝いをしたかった第30期を迎えます。
2009年3月から2010年2月までが第30期です。この時の売上高が7億1,800万円。私の話に何回も出てくる7億1,800万円です。前年比で約4割の減少になります。一言で言うと高砂事業所以外に仕事がない状態。研磨職場は交替制で勤務してもらっていました。この時の交替制は1週間ごとの勤務です。
1週間仕事をする。次の週はお休み。そして、また次の1週間出て、1週間お休み。そんな変則的な勤務となっていました。2班でそれを回していましたから、簡単に考えて必要な半分しか仕事が無い状態です。
無駄を一切排除しようと考えて、当時あった社用車は半分くらい売却しました。何かを買うことにはとても躊躇していました。社内にある消耗品、机の奥にある様なペンを一ヵ所に集めて買わなくて良い状態にしていました。先日のHRの振り返り会議で少しでも経費を下げようと思考して行動している拠点長の話を聞くと、とても心強く感じます。あの当時は、とにかく経費を下げることを念頭に置いていました。もちろん、役員報酬は下げています。3割下げたかな。
そんな時に、高砂事業所で大きな経費が上がって来ました。2009年の年末でした。とても感情的になったことを覚えています。本来その経費は必要なかった。必要ないものを当時の拠点長の判断で事前相談もなく持って来ました。高砂には明石の状況をそんなに伝えていなかったのが原因です。とてつもなくリーマンショックの影響が大きかったので、伝えない方が得策だろうと判断していましたが、それが裏目に出ました。今では良い教訓となっています。
採用費ゼロ
三陽工業では当時も派遣事業を行っていました。派遣事業のおいて採用費ゼロが何を意味するかは簡単に理解できると思います。前向きな動きが1つも無い訳です。派遣事業を初めてから採用費がゼロの年はこの30期のみです。派遣事業においては約30名ほどが残っていました。今の小さな拠点のレベルです。その30名とモノづくりの100名弱、本社にいる数名が当時の三陽工業の全てです。
7億1,800万円。1ヶ月平均の売上高は6,000万円を少し下回る数字です。一生忘れない7億1,800万円。思い出しながら書いていても気持ちがしんどくなって来ます。でも、ここが今の三陽工業のスタートであり原点です。忘れようとしても忘れられませんし、それがあるから今があります。
転機
後ろ向きな仕事が多い中、常にこのままでいいのかというモヤっとした気持ちはありました。
そんな状況の中で、とある人と飲む機会がありました。2人で飲んでいたのですが、2人で飲んだのは数回かもしれません。何人かで飲む機会はそれなりにありましたが、なぜかその時は2人でした。そして、なぜ2人で飲んでいたのかは全く記憶にありません。その相手は私の前職の社長です。社長と言ってもオーナーではありませんでしたので、当時は会社を辞めて別会社で同じ様に社長をしていました。話をしていた時に、1つだけ引っ掛かりました。これまで、会社や仕事に不満を口にする人ではありませんでしたが、その時は少し口にしていたのです。少しですが。その時は、それで終わりました。
ただ、モヤモヤが大きくなり、その次の週に改めてアポイントを取って会いに行きました。九州へ会いに行ったのですが、その時に、初めて父親にその状況を話して、その人と一緒に仕事をしていこうと考えているという話をしました。それまで、自分の意見をほぼ伝えたことはありませんでしたが、リーマンショックを経て、初めて自分の意見を口にしました。九州へ会いに行き、事情を説明した数ヶ月後には、明石でその人と一緒に仕事を始めることになります。そこで出来たのが株式会社アイコムという会社です。
株式会社アイコム
2010年9月に設立された株式会社アイコム。
当時、三陽工業の派遣事業は約30名が稼働しているだけでしたので、派遣はアイコムでやっていこう、そんな意思を持って設立しました。社長は私で、本社は明石市大明石町、国道2号線沿いのビルの2階に事務所を構えていました。それまでは明石エリア限定で仕事をしていましたが、アイコムが出来てからは明石を飛び越えて営業を行っていました。と言っても、この時点では兵庫県限定です。
そして、当初の考えを改めないといけないとすぐ感じることになります。アイコムで営業に行っても当然三陽工業の話をします。すると、お客様は三陽工業で契約をして欲しいという意向が多く、結果的に三陽工業での派遣事業が増えていきました。30年の会社と出来たばかりの会社。そうなりますよね。三陽工業とアイコム。この2つで平行して営業活動を行っている状況の中で、岐阜からの依頼が舞い込んで来ます。アイコムが出来るまでが動乱期と位置付けています。
明日からは第1次成長期を迎えます。
本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!