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【844球目】想像力

台風が日本のゆっくりと日本を縦断していますね。
安全に優先するものはありません。その意識で行動していきます。先日、何気なく話をしていた内容を社員がgamba!に書いていて『( ゚д゚)ハッ!』としました。今日はそのお話をしていきます。

想像力

未来は誰にも分かりません。
想像した未来になるかどうかなんて、それが分かれば苦労しません。ただし、想像することは可能であり、様々なインプットを元に未来の想像を少しでも確度の高いものにすることは可能です。

今の姿を10年前に想像していたかと言われると、答えはNOです。
10年前だと2014年。三陽工業は35期目を迎えています。

35期の時に何が起きていたか。三陽工業のHPの沿革を見てみると

福岡営業所が誕生した年です。本当に小さな事務所でスタートした福岡営業所。家賃が28,000円だったと記憶しています。激安です。あれでよく派遣業の許可が取れたなと思うくらいの狭い狭い営業所でスタートしました。

10年前の想像

11年前に滋賀に拠点が出来ています。13年前には三陽工業で初めての拠点が岐阜にできました。三陽工業として3つ目の拠点が出来たのがちょうど10年前です。福岡県久留米市にある福岡営業所は、そこから佐賀営業所、小倉営業所が誕生し、大分、熊本そしてものづくりの福岡事業所が存在しています。

10年前に今の姿は想像していませんが、10年前に『今日よりも明日をよくする』と強烈に考えて、そして行動していたのは確かです。

佐賀で革製品の検査をしていた時期もありました。私自身も多くの営業へ行きましたし、高い頻度で福岡へ行っていました。『10年後にこうする!!』
明確なビジョンはありません。ただ、間違いなく、会社を成長させたいという熱い想いと行動の量だけはありました。それがその後の拠点展開へと繋がっていきます。

少しずつ

目の前のことを必死にやっていただけの10年前。
そこから1年経ち、2年経ち、3年経つと少しずつ想像が膨らんできます。
拠点が増えた時に、山陽新幹線と東海道新幹線の主な駅を制覇する!と考えながら、拠点展開をして来ました。その結果が今です。残念ながら、大阪と東京には拠点がありません。ここは今後の伸びしろだと考えています。

想像して動かない状態と、想像しないけれど必死になって行動している状態。どちらが良いのか。言うまでもなく後者です。行動が無ければ何も生み出しません。

もっと言うと、想像しながら必死になって行動していることがベストですね。今では、日本の製造現場を元気にする!ことを考えながら思考と行動を繰り返しています。

実現するのは

日本の製造現場を元気にする!2016年に生産推進グループが誕生しました。
今では、三陽工業で10年前とは比較にならないくらいの仲間が働いてくれています。

日本の製造現場を元気にする!これを直接実現するのは、現場の最前線で働いている仲間たちです。私はその環境を整えていく、武器を増やしていく役割を担っています。もちろん、営業や採用等の直接的な仕事をすることもあります。ただ、今の三陽工業は既に社長が一人で奮闘してどうこうなるレベルではありません。各拠点、各工場の仲間が元気になって、周りを元気にしていく。その好循環こそが日本の製造現場を元気にする原点です。

今まで紆余曲折、様々なことがありました。
そして、いまも起きていますし、これからも起きるでしょう。その1つ1つに真摯に誠実に向き合いながら、本気で日本の製造現場を元気にする集団として、三陽工業はこれからの世の中に必要不可欠な存在を目指していきます。

10年後。10年後から現在を見返した時に、現在から10年前を見返して感じている様な、それ以上の懐かしさと規模の小ささを感じられるように、そんな未来を想像しながら、今を必死になって行動していきます。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

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井上社長|三陽工業株式会社
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!