「自分がやるべきことだ、と思った」武術を愛するネギ農家を導く『矜持』
実家の米農家を継ぎ、新たにネギを中心とした作物を生産している天まる農園の栗原正徳さん。
以前は社会福祉協議会で働かれていた栗原さんの、『福祉』と『農業』そして『武道』との繋がりを紐解いていきます。
ー安易な気持ちで始めました(笑)
ーー栗原さん、よろしくお願いいたします!
よろしくお願いします。
ーー栗原さんといえば長ネギ農家!という方も多いと思うのですが、どういった作物を育てているんでしょうか?
長ネギはメインの作物の一つですね。あとはお米もやってます。うちは代々、米専門の水稲農家だったんですよ。
ーーそうだったんですね。長ネギは栗原さんの代から?
そうです。私が田んぼや畑を継いだ頃にはお米もだいぶ安くなってましたし、うちの面積規模じゃ米専業でやるのは難しかったんです。じゃあ野菜も育ててみようかと思って。
ーー米専業となると規模が大きくないと難しいんだ…。
でも野菜を育てるって言っても、もともとサラリーマンでしたし知識もない。実家の手伝いで田植えと稲刈りくらいの経験しかなかったので、全くの無知だったんですよ。
ーー日常生活ではなかなか身につかない知識ですよね。
それで新規就農するに当たって、JAさんに相談しに行ってたんです。その時にお話して頂いた方がネギ農家担当で、長ネギをオススメされて。じゃあネギやってみようかなって安易な気持ちで始めました(笑)
ーーその人の思惑通りな気も…(笑)
もしかしたら思惑があったかもしれないですね(笑)
ー 私にとって空白の一年なんです
ーー実際にネギを作り始めて、すぐうまくいきましたか?他の農家さんでも新規就農して一年目は惨敗だった、なんて話をよく聞くので…
それはもう惨敗もいいところです。いまだに惨敗ですね、負け越してます。
ーーいまだにですか…!?
いまだに負け越しですよ〜。うまくできなくて、試行錯誤して…って。
しかも、私が一年目に挑戦したのがトンネルネギっていう夏場に収穫する夏ネギだったんです。
ーーネギって冬野菜のイメージでした。
そうそう、普通は冬に収穫するんですよ。だからちょっと難しいやつに手を出しちゃってたんですね。しかも教えてもらってた先輩も夏ネギはやってなくて、YouTubeとかネットの情報を見様見真似で。
ーー1年目でそれは嫌な予感しかしない…
一応ネギは仕上がったんですよ。ただ仕事の流れがうまく組めていないですから、高値がつきやすい旬の時期までに取りきれなくて、結局2ヶ月くらい押しちゃって。
ーーそれは痛手だ…作業量とかの感覚も分からないですもんね。
そういう失敗は他にもあって…就農して3年目かな?米よりネギの方が単価もよかったんで、陸田を一枚、お米からネギに切り替えたんです。そこの田んぼが水の流れに癖のある田んぼだって分かってたんですけど、まあ大丈夫だろうと。
ーー癖のある田んぼ…また嫌な予感…
色んな条件が重なったのもあって、その年の梅雨に長雨で完全に水没しちゃったんですよ。その年は収穫物が何もなくなってしまって、あーもうこれは我が家は終わったなと。何も獲れなかったわけですから、私にとって空白の一年なんです。
ーー大切に育てていた野菜が一つも獲れないなんて…相当ショックでしたよね…
あん時はキツかったですね。でも、なんの気無しに遊びにきてくれた知り合いが『ほうれん草ならまだ間に合うからやってみたら?』って教えてくれて。それがうまくいってなんとか食い繋いだんですよ。
ーーよかった…それにしてもすごいタイミング…!
本当にたまたまだったんですけどね。あのままだったら農業畳んでたと思うし、人脈というか人間関係は本当に大切にしないといけないなと思いましたね。
ー福祉を改善せんことを期す
ーーところで、農家を継ぐ前は社会福祉協議会にいらっしゃったんですよね。
そうです。大学出て農業始めるまでずっとですね。
ーー元々福祉の世界に興味があったんでしょうか?
これはね、大学時代に理由があるんですよ。私はずっと空手をやっていまして、大学でも武道をやれればと思ってたんですが、空手部が無くて少林寺拳法部に入ったんですね。
ーーほうほう。(武道と福祉がどう関係するんだろう…?)
あ、そもそもね、私ってオタクなんですよ。大学でもコンピューターゲーム同好会作ったり、映画サークルで自主制作映画撮ったり。映画好きなので、ジャッキーチェンも好きなわけですね。
ーージャッキーはカンフーの代名詞!あれ、でも少林寺拳法とカンフーって別物でしたよね…?
そうなんですよ(笑) まあ当時の私は何も知らなかったんで、カンフーだ!って。カンフー教わってカンフー映画撮りたいなとかね(笑)
でもそれが運命の出会いというか、運のツキというか、少林寺拳法にハマっちゃうんですね。
ーー(勘違いが運命の出会い。なんだか映画みたいな展開…!?)
少林寺拳法って突きとか蹴りみたいな武術的な技だけじゃなくて、教義も教わるんです。
ーー教義、ですか。
座禅を組んで『信条』を唱える『鎮魂行』っていうのがあるんですけど、その中に『日本人として祖国日本を愛し、日本民族の福祉を改善せんことを期す』っていう一文があって。「これは日本人の道徳として大切なことを教えてくれてる」って思ったんです。
ーーその信条をきっかけに社会福祉協議会に…?
そうそう。福祉とは全く関係ないところから入っていってるんですよね。
だから、家の跡取りだし地元に帰らなきゃって就職先を探してた時に『福祉』の文字が目に止まったんです。何か人の役に立てることができそうだなって。
ーーなるほど…!そういった教義から生まれる強い思いや気持ちだからこそ、栗原さんを動かしたのかもしれませんね。
ー「これは自分がやるべきことだ」
ーーあれ、でも大学卒業後すぐに農家を継ぐって選択肢もあったわけですよね?
選択肢としてはあったかもしれないけど、当時の自分は全くそんな気もなかったんですよ。
継いだのも武道に影響されてというか、自分の考えが変わったみたいなところはありますね。
ーーそれも少林寺拳法ですか?
いえ、また違うもので。
まだ農業を始める前の2004年から『天然理心流』に入門してるんですが、その影響はありますね。
ーー天然理心流!新撰組も取り入れていた武道ですね。
そうそう。当時の私は色んな武道団体をジプシーのように渡り歩いてきたんです。それこそ日本の武道だけじゃなくてカポエイラをやったりもしました。その中で日本人として『日本の文化をどれだけ知っていて、どれだけ大切にできているんだろう?』ってモヤモヤすることもあったんですよね。
ーー日本人として、ですか…日本の文化に触れる機会も少ないかもしれません。
そんな時に天然理心流の道場が牛久にできるっていうのを見つけて、見学にいったんですよ。ちょうど大河ドラマの『新選組!』の時期だったので話題になってて。
そこで先生の話を聞いて、日本人の矜持を守る世界がここにあるんだと。「これは自分がやるべきことだ、やらなきゃ」って思ったんです。
他の武道もやり込んでない、恥ずかしいなっていう思いがあったんで、もう本当にこれを最後の修行の場として取り組もうと思って入門しました。
ーー栗原さんの柱になる教えだったんですね。
まさにそうですね。少林寺拳法とも通ずるものがありました。
それでね、天然理心流の流派には真言密教の思想が深く関わっていると言われていて…『天然』は宇宙を想像した仏様である『大日如来』を表しているんです。つまりは『この世の摂理』や『森羅万象』を表しています。
ーー今生きているこの宇宙や自然の法則を表している、と。
そうそう。この地球も、自然も、生き物も、もちろん我々人間も、その人間が食べている物も、全部お天道様、太陽の恵みで存在しているじゃないですか。これを神様とか仏様って言ったりもしますよね。そうすると農業も天然理心流の考えの一部なんじゃないかと思えたんです。
剣の修行だけが天然理心流じゃないんですよ。そう言う意味では私がやってる仕事(農業)って、天然理心流を具現化してるのかなって。
ーー人間が生きていくこと、食べることに関わることが天然理心流に繋がるってことですね。
親父の体がだんだん弱くなってきて『田んぼ入って足が抜けねえんだ』なんていうようになった時に、やりたくはなかった農業をやるしかないのかなって思ったんです。でも天然理心流を自分を納得させる材料にして、「なるほど、これは道が繋がってるんだろうな」と思えましたね。
かっこつけた言い方になっちゃうかもしれないすけどね(笑)
ーー全く関係ないように思える武道と福祉、農業がこんな形で繋がるとは…!
そうなんですよ。私の仕事って全部こんな感じなので(笑)
まあでも、社会福祉協議会で働いていたのも、こうやって家業を継いで農業をしているのも、学んで迷ってまたあるべき場所に戻ってくる、必然なのかなって思います。
ーー武道を通じて自分のあるべき姿を知り、実行に移してしまう栗原さんがかっこいいです…!
栗原さん、ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?