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『日本ってチンケな国だなって(笑)』下妻に住む外国人が集まる場所…そこにはスリランカと日本を繋ぐ”ママ”がいた!


『みんなの食堂』など、外国人支援を中心に様々なボランティア活動を行っている『しもつま外国人支援ネットワークTOMODACHI』さん。

今回は代表の小笠原さんに、ボランティアのきっかけ、スリランカとの出会いについてお聞きしました!

ー県西地区に集まってくるんです



ーー小笠原さん、よろしくお願いします!

よろしくお願いします。

ーーまず、小笠原さんが代表を務める『しもつま外国人支援ネットワークTOMODACHI』についてお聞かせ頂きたいです。TOMODACHIさんではどのような支援活動をしているのでしょうか?

簡単に言うと、外国人を行政に繋げてあげたり、病気になってしまった時にこういう病院に行ったほうがいいよと教えてあげたり…必要な場所や機関と繋ぐ活動をしています。

ーー生活していく上で必要不可欠なサポートをしているんですね。

他には、外国人と仲良くなりたい、繋がりたい日本人の方もたくさんいらっしゃるので、どんな風に付き合って行くのかを一緒に考えたり、繋がるきっかけになるイベントも開催しています。
『みんなの食堂』では、交流の場になればと思って毎回外国の料理を出しているんです。


色んな国の魅力が詰まった『みんなの食堂』


ーー小笠原さんと初めてお会いしたのも『みんなの食堂』でしたね。国籍関係なく集まった人達が、世界の料理をみんなで食べていたのが印象的でした!
下妻って外国の人が多いのでしょうか…?

そうですね。すごく多いと思います。
私が外国人支援を始めるきっかけになったスリランカ人は、茨城県が日本で一番多くて、中でも県西地区に集まってくるんです。

ーーえっ、そうだったんですね。全然知らなかった…

ーキッカケの『サンフランシスコ講和会議』


ーー外国人支援のきっかけがスリランカだったとのことですが、何か縁があったのでしょうか?

私、石下で居酒屋やってたんですけど、その隣がスリランカレストランだったんです(笑)

ーーお隣さんだったんですね!(笑)

でも、私も最初は「この黒い人たち嫌だなあ」って思ってたり、「こんにちは」とか「かわいいね」とか彼たちが分かる少ない言葉でアプローチしてくるのを、うざいなと思ってました。正直なところ怖かったし(笑)

ーー小笠原さんと同じように、怖く感じてしまう方も多いかもしれませんね。言葉もほとんど通じないですし…

そうそう、知らないから怖く感じてしまうだけなんですよ。
でも、荷物を運んでたりするとすぐに来て重いものを持ってくれたり、掃除を手伝ってくれたり、すごい優しくって。

ーー(本当に小笠原さんと仲良くしたいだけだったんだろうなあ。)

スリランカの民族衣装「サリー」を纏う小笠原さん

そのうち郵便物とかを持って来て、これはなんの手紙なんだって聞かれるようになったんです。役所の手紙にしてもなんでも日本語で届くじゃないですか。

ーーたしかに、英語すら書いてないものばかりです。自分が同じ立場だったら不安で仕方ないですね…

だから、それを読んで手紙の内容を教えてあげたりしていたんです。そのうちスリランカってどこにある国なの?って思って(笑)
それで色々と調べていくうちにサンフランシコ講和会議でのジャヤワルダナさんの演説のことを知ったんです。(日本の領土問題についての演説)今の日本があるのはこの演説のおかげなんだと知って、これはスリランカに恩返ししなきゃと思いました。そこからどんどんスリランカという国に興味を持っていくようになりました。

ー「日本ってチンケな国だな」って(笑)


ーー『憎しみは憎しみによって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである』というブッダの言葉を引用した演説ですね。この演説のおかげで日本を分割統治する案が無くなった、という話を聞いたことがあります。

その演説のことを知ったのも大きいんだけど、他にも理由があるんです。

ーー他の理由ですか…?

その当時やっていた居酒屋にスリランカ人が来てくれるようになったんです。日本の料理は口に合わないから食べられないのに、飲みに来てくれるんですよ。
そしたら、日本人のお客さんがスリランカ人に向かって差別的な発言をしていていたんです…。それをみて「日本ってチンケな国だな」って思っちゃいました(笑)

ーー同じ日本人として恥ずかしくなっちゃいます…

海外の料理を教わったり、日本の料理を教えたりするんだとか。楽しそう…!


だったらこの子たち(スリランカの人たち)のために何かしようと思って。最初は隣のスリランカレストランの上に、バーを作ったんです。

ーーバー、ですか?今ある居酒屋じゃだめだったんでしょうか?

スリランカ人って毎週集まってお祭り騒ぎするんですよ。だからそのためのお店にしちゃおうってことで、バーを作ったんです。でも、結局騒音で苦情が来たり警察呼ばれたりしちゃって、ダメでした。

ーーそのために作ったお店でも難しいんですね。日本人には受け入れ難い文化なのかも…

もちろんうるさかったのかもしれないけど、それ以上に「外国人が集まってる」ってことが嫌だったんじゃないかなあ。

ーーその人たちも、知らないから怖く感じてい」たのかもしれませんね。

そんな事もあって、日本との文化の違いを感じました。でも、必死に生きている人たちにやりたいことをやらせてあげたいな〜って考えて、居酒屋をやめてスパイスと野菜のお店を始めました。

ー「死んじゃったんじゃない?」って言われてた


ーー現地食材のサポートとして、新しくお店を始められたんですね。!現地の野菜はもちろん、インドのお隣のスリランカではスパイスも欠かせないですね。

そしたら自分たちの野菜を育てたいって言い始めて。今でこそ空輸とかされるようになって見かける野菜もあるけど、当時は全然なかったからね。

ーー現地の野菜を育てるって言っても、スリランカと日本で環境がまったく違うのでうまく育てるのが難しそうです…。

農地も無いし、南国の野菜だから日本で育てるにはハウスも必要だったのよ。
そしたらたまたま知り合いの方が、すごい立派なハウスを貸して下さって…
使用料の支払いもできないし、外国人が出入りすることになるし、ご迷惑だと思ってお断りしようかと思ってました。でも「いやいや、大丈夫だよ」って貸してくれたんです。


この日はペルー料理!食べたことない料理も、日本人の口に合うようにアレンジ。


ーーすごい!小笠原さんの活動に惹かれるものがあったのかもしれませんね!

しばらくしたら近所の人も犬の散歩ついでにスリランカ人と話すようになったり、
農機具も買えなかったんだけど、近所の農家さんが貸してくれるようになったりしました。

ーー『何をしてるか分からない外国人』が、『頑張って農業をしているスリランカ人』だと分かるだけで、こんなに親交が深まっていくとは…!

その後10年くらいはスリランカ人に特化して支援活動をしているんです。生活の中に入って、お寺に行ったり、病院に連れて行ったり、子供を預かったりとか。そういうことをずっとやっています。

ーー『みんなの食堂』などTOMODACHIさんの活動は、全てその延長なんですね。

そうですね。本当はいろんな国の方を支援してあげたいけれど、とりあえず1つの国でちゃんと出来なきゃ無理だな…と思って、縁のあったスリランカから始めました。
全然日本人に会ってない時期もあったから、みんな私のことを「死んじゃったんじゃないの?」って噂してたみたい(笑)

ーーそれだけ集中してサポートされていた証拠だと思います!(笑)

スリランカ人には『ママ』って呼ばれてるんです。もともと居酒屋のママだったからなんだけど、みんな日本のお母さんみたいに思ってくれてる。だからもっと色んな人を支えて行けるように頑張ってやっていくつもりです。

ーー周りに頼れる人がいない中で、小笠原さんのことを『母親』のように思っているんでしょうね…!
これをきっかけに、下妻に関わる外国の皆さんのことを考えてみようと思います。

小笠原さん、ありがとうございました!


みんなに信頼されているのが伝わってきます


◯外国人支援ネットワークTOMODACHI
https://www.facebook.com/people/しもつま外国人支援ネットワークtomodachi/100067836131142/

取材執筆・編集・写真:宮澤
取材月:2021.12

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