「自分が楽しんでいないと周りが楽しくない」文具店の3代目を突き動かすのは『底無しの好奇心』だった!
オフィス用品や文房具の販売だけでなく、駄菓子屋として宗道の小学生の交流の場所になっている『せき書店』
3代目の関大介さんに、経験から感じた『まちづくりと”人”の繋がり』などについてお伺いしました!
ー交流の場所を残すため
ーー大介さん、よろしくお願いします!
よろしくお願いします!
ーー店に入ると駄菓子や文房具が目立ちますね。お店が『せき書店』という名前だったので、こんなに駄菓子があってびっくりです!
元々は駄菓子は置いていなくて、本と文房具を取り扱っていました。
ーーそうだったんですね!駄菓子を置くようになったのはいつ頃のことですか?
私が小学生の頃なので、もう20年前くらいですね。
ーー20年!思っていたより長い!。文房具を目当てに小学生も来そうですし、駄菓子も売ってたらついつい買っていっちゃいそうです。
駄菓子を売り始めたのは、小学生の交流の場所を残すためなんです。
ーー「交流の場所を残す」ということは、こことは別に交流の場所があったということでしょうか?
そうですね。昔、この地区には駄菓子屋が3軒くらいあったんですけど、無くなってしまって…それで地域の皆さんから「せきさんのところで(駄菓子屋を)やってくれないか」って話があったみたいです。
ーーそんな経緯があったんですね。近所に駄菓子屋が無かったら少し寂しいもんなあ…
夏休みになると工作の宿題に使う画用紙を買いに来てくれたりもしますね。でも流石に駄菓子と文房具だけで食べていくのは難しいので、複合機などのオフィス用品の導入業務も請け負っています。
ーー会社の土台がしっかりしているからこそ、小学生の交流の場所を守れているんですね。
お店は創業して60年以上になるので、これからも続けていきたいなと思っています。
ーー(60年…このまちにとって欠かせないお店だ!)!
大介さんが跡を継ぐんですか?
そのつもりで下妻に戻って来ましたね。祖父母が始めて、私が継いだら3代目になります。
ーーおお!継ぐつもりで!親御さんにとっても心強いですね!
今では先代方には本当に感謝しています。でも、最初は全然帰ってくるつもりが無かったんです。
ーーえ?そうなんですか?
はい。進学を機に下妻を離れて、10年くらいは東京で過ごしていました。
ー「変な人たちです(笑)」
ーー「帰ってくるつもりはなかった」というのは、何か他にやりたいことがあったからとか…?
若いうちに海外を回りたかったんですよね。人生一度きりだから世界を見てみたいっていう気持ちがありました。就職しちゃうと時間も制限されてしまうし、若いうちのほうが感性も豊かだろうなと思っていました。あとは体力的にも(笑)
ーーたしかに(笑)ちなみにどこに行きたかったんですか?
主にアメリカです。高校生の頃からUKとかUSの音楽が好きで、その影響です。
ーーアメリカ、私も行ってみたい…!
あとは深夜特急っていう小説の影響もありますね。経験しないと語れないし、とにかく自分で体験したかったんです。結局は色々あって夢で終わっちゃったんですけど…
ーーいざ実現しようってなると、難しいんですね…
でも、大学生の時に海外行くならその前に国内行かなきゃってことで、国内は少し回りました。
ーー国内はどこを回ったんですか?
全然行けてないんですけど、40都道府県くらいですかね。学生でお金も無いんで、国道1号線とか下道をバイクで行ってました。
ーーいやいや、十分すごいですよ(笑)
特に記憶に残ってる地域ってどこですか?
一番感動した景色は青森の龍飛岬かなあ。津軽海峡冬景色の歌謡碑(石碑)があって、ボタンを押すとまるまる一曲流れるんですよ。
それを聴きながら観る北海道がすごくて…小さい島だったらイメージできたんですけど、北海道くらいになると大陸みたいでスケールの大きさに感動しました。
ーー写真とかでは見たことありましたが、実際に見るとまた違う感動があるんだろうな〜。一度は見てみたい…!
あとは徳島も記憶に残ってます。
ーー徳島かあ。阿波踊りくらいしか思い浮かばない…(徳島の皆さんごめんなさい…)
徳島にはお遍路のスタート地点の霊山寺(りょうぜんじ)があるんですけど、その影響なのか一人で旅をしてる時に声をかけてもらったんです。うちに泊まっていきなよって。
ーーたしかに、東京とかじゃいきなり「泊まっていきなよ」とはなかなか…お遍路文化のお陰かもしれませんね。
泊めてもらうだけじゃなくて観光地に連れて行ってくれたり、阿波尾鶏の炭火焼き食べさせてもらったり…しばらくは年賀状のやりとりもしてました。そんな出会いがあったので、”人”が印象に残ってます。
ーー綺麗な景色や観光地はもちろんですが、そういった出会いも旅の醍醐味だと思います。徳島に行ってみたくなりました!
大介さんが国内を回っていた時は、ずっと一人旅だったんですか?
いえ、大学の友人たちと回ることも多かったです。
大学では軽音サークルに入っていたんですけど、その中でも異質な人たちというか…「青森行こうぜ!」ってすぐに行っちゃうような変な人たちです(笑)
ーー変な人たちと言いつつ、大介さんもその仲間だったわけですよね(笑)
居心地は良かったですね。私自身、昔から『変わってるね』って言われることも多かったので(笑)
ー「自分が楽しんでいないと周りが楽しくない」
通っていた大学も、本当に変わった人が多いところで楽しかったです。
「光合成して気泡が出る瞬間が綺麗だ」ってずっと水草を見てる人とか、珊瑚ばっかり育ててる人とか…
ーーそんな人たち見たことないです(笑)海に関係する学校だったんですか?
海洋学科に通ってたんです。
ーーえっ!今のお仕事から全く想像つかない…海が好きだったとか?
アウトドア一家で毎年必ず海に行っていたので、海は好きですね。それで海に携わってみたいなって気持ちで海洋学科に入りました。
ーー海洋学科ってどんなことするんですか…?
一番記憶に残っているのは、観測船兼漁船の船で2週間かけて小笠原半島に行ったことですかね。それに参加しないと卒業できない研究室に入ったので…というよりそれを目当てに入ったんですけど(笑)
ーー船で2週間…無理かも…(笑)
いくつかの大学で乗り合わせて、全部で100人くらい学生が乗ってたんですけど、最終的には98人が船酔いとかで起きてこれなくなりました(笑)。
ーーほぼ全滅じゃないですか!大介さんは大丈夫だったんですか!?
生き残りましたね。でも、色んな仕事をすることになって、大変でした。
それでもなかなかできない経験だったので楽しかったです。
ーー旅をしたい理由もそうでしたが、興味があるものを自分で体験・経験したい!って気持ちを大介さんから人一倍強く感じます。
そうかもしれないですね。子供の頃も「行っちゃだめだぞ」って言われてるけど興味本位で行っちゃって怪我して帰ってくることもありました。
ーーと、とりあえず無事で良かった…
死んでたなって思うことは何回もありますね。素潜りでタコを追いかけていて、岩場に頭を突っ込んだら抜けなくなったこととか。結局怪我しながら脱出して…あ、でもちゃんとタコは獲りました(笑)
ーー怖すぎる…せめてタコは諦めましょうよ(笑)
結局、他者から褒められたいとか見せびらかしたいとか、そういう気持ちが強い子供だったんだと思います。
ーーそう思っていても、実践できる人はそんなに多くないと思います。
「自分が楽しんでいないと周りが楽しくない」っていうのを自分の信条にしていたので。それでも100人全員に好かれるのは難しいし、そもそも全員に好かれたいと思ってないし…例え何人かに変な目で見られたとしても、せめて自分だけは納得できるようにって。
ーー大介さんの話を聞いてると、楽しんでいる様子が伝わってきてワクワクします。きっと多くの周りの人も一緒に楽しんでくれてるんじゃないかなあ…!
ー”苦”が少ないと思います
ーー興味のあることにどんどんチャレンジしていってしまう大介さんですが、これからやってみたいことってありますか?
将来、夫婦で世界一周旅行に行きたいです。妻が一緒に行ってくれるかは分からないですけど、一人でも行きたいです(笑)
ーー(世界旅行、奥さんと行けますように…笑)
ーー大介さんは下妻青年会議所のメンバーとして、下妻と近隣のまちづくりにも携わっているんですよね!
はい。まちづくりとか人脈形成とか…JC(下妻青年会議所)でできることに熱中しています。
ーーJCでできること、ですか?
色々な事に挑戦できるんですが、たとえばJCのyoutubeチャンネルで”6時間テレビ”っていうのをやったんです。
八千代町と石下、下妻で生放送も含む3番組ずつ、計6番組やりました。
ーー6時間テレビ!想像しただけでも大変そうです。
最初は「24時間やりたい」って言ってたんですけど、できるわけないって言われて。じゃあ12時間で!って言ったけどそれもできるわけないって却下されて、最終的に6時間になりました。
ーー諦めないその熱量が凄まじい…
大変は大変だったんですけど、本当に色んな人に協力してもらって実現できたので良かったです。様々な経験ができる青年会議所には、本当に感謝しています。
あと、まちづくりって本当に難しくて…地元の魅力に気が付くのって、意外と大変なんですよね。でも、このまちや人が好きだ!って気持ちはあるので、それを原動力にしています。
ーー地元のことってなんでも当たり前になっちゃいますよね。大介さんが思う下妻の魅力ってどんなところなんでしょう?
下妻って、衣食住にほとんど不満がないんですよ。
有名な観光地みたいに「すげー!」って思うことは少ないかもしれないけど、都内へのアクセスもいいし、全体的に『苦』が少ない、不自由がないというか…
これは日本全国を回ったからこそ、気が付いたことですね。
ーー目立ったものが少なくても、苦が少ない方が生活していく上で大事かもしれません。
下妻に戻って来たのも、もちろん家を継ぐって気持ちになったのもありますけど、子育てするには東京よりこっちがいいのかなって思ったんです。
ーー外に出て、下妻に戻ってきた大介さんだからこそ見えるものがあるかもしれませんね。
あとは、人とのコミュニケーションがあれば地元に繋ぎ止めることができると思っているんです。
ーー人との繋がりが無いと地元に残りたいって気持ちにならないかも…
元々は自分から求めて友達を増やしたいってことも無かったですし、決まった友達と遊んでました。でも、大学の時に色んな人に出会って価値観が変わったんだと思います。
徳島で泊めてくれた人とか、大学の変な仲間たちとか。
JCでもまちづくりを通して地域の皆さんと繋がることができますし、日本全国のJC会員と出会うことができるんです。
ーー大介さんのエピソードには”人”にまつわるものが多いですもんね!
JCだけでなく下妻には本当に色んな人がいて、皆さん素敵な活動をされている方ばかりだと思います。そういう人たちのお手伝いってわけじゃないですけど、このまちも仕事も好きなので、自分に貢献できることはやっていきたいなと思ってます。
ーーまちや人へ向けられる大介さんの愛が伝わってきて、これからの活動もますます楽しみになりました!
大介さん、ありがとうございました!
◯せき書店
〒304-0814 茨城県下妻市宗道81−1
☎0296-44-3956
HP:http://se-ki.co.jp/
instagram:https://www.instagram.com/seki_shoten/?hl=ja
取材・撮影・執筆:宮澤優輝
編集:纐纈翼
取材月:2022.8
下妻市公式まちメディア『サヌマー』
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