塩飽諸島は、Boys&Girls be ambitious!な場所だった。
「瀬戸内国際芸術祭2019」を見に、香川県丸亀市の本島に行ってきた。
現代アートの作家や建築家たちが、そこに暮らす人々とアートを制作・展示するイベント。
この島だからこそ表現できるアート。
静寂や、歴史、自然。
都会でどれだけお金を払っても見ることができないものがたくさんあった。
それはそれは、どれも素晴らしかったのだけれど。
ここでは、その合間に見た、国指定史跡の「塩飽勤番所跡」で、個人的にショッキングだったことについて書きたい。
本島は、瀬戸内海の潮流が複雑に渦巻いて流れる「塩湧く」風情から名付けられた塩飽諸島(しわくしょとう)の一つだ。
日本人初の太平洋横断を成し遂げた、咸臨丸に乗り込んでアメリカに行った水夫50人の打ち35人は塩飽諸島出身だったという。
江戸時代に、日本を代表するような人材がここ瀬戸内から排出されていたということに、私は驚いた。
私は香川県の出身だけど、そんな話聞いたことがなかった。
本島に来たのも初めてだった。
18年も住んでいて、地元にそんなすごい人達がいたなんて知らなかった。
「香川は気候が温暖で、突出した才能が育たない。」
「著名人や芸能人に香川出身の人は少ない。」
いつからか、どこからか、そんなふうに刷り込まれていた。
もちろん著名人がいないわけではない、けれど、確かに少ない気がするから、実際そうなんだろうなと思っていた。
今思えば、香川の人間はポテンシャルが低いなんて、とんでもない思い込みだ。
でも。
こんな世界を股にかけた、命がけのチャレンジをして、日本の歴史を切り開いた人たちが、地元にいたと学生時代に聞いていたら。
Boys&Girls be ambitious!!!!!
なメッセージになっていたに違いないと思う。
政治や経済の中心地から、遠く離れていても。
人間のポテンシャルは変わらない。
今は東京に一極集中だけど、今そうなっているに過ぎない。
どこにいても、世界を見て、時代を読んで、
リスクを取って、挑戦する。
塩飽諸島の水夫の話は、ずっしり胸に響いた。
香川の子どもたちみんなが、この歴史を学んでるといいな。
私が無意識に持ってしまっていた、
香川県民コンプレックスに、さようなら。
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