【麻雀】子供に麻雀を教える事は極悪非道の道なのか?
第1章 子供に麻雀を教える事は極悪非道?
①始まりは比嘉プロの疑問
今回の件はこのポストから始まった。
大元の議論は分からないが、おそらく
「子供に麻雀を教える事はOKなのか?」と言う議論があり、
比嘉プロはそれを目にしたのだろう。
だがこの時点では、あくまで比嘉プロに取って
「子供に麻雀を教える事は極悪非道」と言う発言に
「麻雀そのものを貶める意図は無い」と言うのか?
どう見ても貶めてるだろうがと言うだけの話である。
しかしこのツイートをきっかけに議論は白熱した。
となると、当然、あの方が黙っていないわけで。
X界の喧嘩師(私が勝手にそう思っている)
日本プロ麻雀連盟理事メディア対策部長、そして、
法務部長代行 黒木真夫氏である。
黒木氏の場合は、子供に麻雀を教える事の是非を焦点としている。
そしてこのnoteによってさらに議論は白熱している。
肯定、否定それぞれの意見に別れ、
肯定側はコミュケーション、頭の体操など様々な意見がある。
一方、否定側は大きく分けると主に二つの意見が出ている。
と言うわけで今回は子供に麻雀を教える事の是非について
考えたいが、最初に言っておこう。
自分は子供に麻雀を教える事は問題ないと確実に言える。
何故なら教えるのは麻雀だからである。
なので肯定派の意見については同意以外の意見は出ないので、
否定派の意見について考え、最後に自分の意見を述べたい。
と言うのも自分はこの議論だけでは終わらない。詳細は後程。
第2章 「子供の可能性を案じて」否定する
①無限の可能性があるからこそ教えないと言う選択
否定意見の一つ目は子を持つ親の視点での意見。
要するに麻雀意外にも興味を持つ事はあるかもしれないのに、
今、麻雀だけに決めるのはどうなのか?と言う事。
実に親として子供の事を考えた意見だと思う。
「よく学びよく遊べ」とは言ったもので、
小さい頃は色々な経験をして欲しいと言う親の気持ちは分かる。
もっとも千葉プロはあえて教えてないてだけで、
興味を持てば教えるでしょうし、
さらにこれは決して極悪非道と言うわけではない。
では「子供に麻雀を教える事は極悪非道」とはどういうことか?
それを主張するのが次の意見である。
第3章 「麻雀は賭博」だから否定する
①「子どもに麻雀を教えることは極悪非道」…なのか?
二つ目の意見はまさに極悪非道の理由を述べたものである。
Xで色々意見は出てるが、要するに、
麻雀は賭博の側面を持っているから子供に教えるのは極悪非道
と言う事と思われる。
確かに麻雀はギャンブルとして使われることも有るし、
実際金銭授受が発生している雀荘もある、なんなら、
今年の五月、客に賭け麻雀をさせたとして摘発された雀荘もある。
その為、子供に麻雀を教える事は極悪非道と言う事だが…、
ちょっと待ってほしい。それは麻雀が悪いのか?
そもそもただ麻雀をやっただけで金銭は発生するのだろうか?
当然しない。そんなルールは麻雀そのものにないのだから。
「テンゴ(1,000点50円)」「テンピン(1,000点100円)」
等がついて初めて金銭が発生するのだ。
だったら問題の本質は賭博ではないだろうか?
それなら麻雀を省いたって賭博に触れるリスクはなくならないし、
逆に賭博を消してしまえば、麻雀は安全になるとも言えるのでは?
じゃあ、麻雀そのものは関係ないじゃないか!!
とまあ、大げさかつ感情的に書いてはみたがそもそもの話、
引用した否定意見の二つ目に書かれてるんだよね。
「比喩的に「賭博」の用語を使うことでとっ散らかってる。」、
「賭博で金を失うことは家族も含めて不幸になる」とね。
抜粋だから前後見ないと詳細はわからないが、
もし麻雀が悪いと言うならこの二つの言葉は出ないわけで、
語るに落ちるじゃないが自分でこの意見否定してるよなと。
②「麻雀そのものを貶める意図はない」= ?
改めて比嘉プロのポストに戻るが、
否定派は両立すると言ってるがどう見ても両立しない。
主語は麻雀を含んでいるし、理由も賭博が絡んでいる事から、
間接的に麻雀に対して悪いイメージを植え付けている
=麻雀そのものを貶めていると判断できる。
そもそもの話、問題の本質は賭博である事は先ほど説明した。
なので、言葉だけの話なら、
「子どもに賭博を教えることは極悪非道」が正しいし、
「麻雀をそのものを貶める意図はない」と両立させるなら、
「子どもに麻雀を通じて賭博を教える事は極悪非道」
と言う風に賭博を主語に持っていけば良い。
もっともこれは言葉だけの話。
ではここから自分の主張を述べたい。
もう少しだけお付き合い願う。
第4章 子供に教えるべき事
①子供に教えない事もまた罪
結論から先に言おう。まず序盤でも言ったように、
子供に麻雀を教える事は問題ではないと確実に言える。
何故なら教えるのはあくまで麻雀であるからである。
そして…
ギャンブル依存症などの悪影響を懸念するなら、
むしろ子供に賭博をきっちり教えるべきである。
と言うのが自分の主張である。
もちろんやり方を教えるのではない。
世の中にあるギャンブルや賭博罪などの法律の話、
ギャンブル依存症についてなど、
仕組みや影響等マイナスの側面についてである。
「教えたら真似するだろうが!」「余計な方向に走らないか」
等と言う意見は出るだろうが、むしろその逆。
教えないと言う事はいざそういう場面に出くわした場合、
自分では何もできない。それでもまだマシ。
誤った知識を植え付けられて、誤った方向に向かうなら、
もう手遅れである。世の中にはそれをする奴もいるのだ。
正しい知識を身につけさせ、
その上でそれでも賭博を行うと言うのであるなら、
そこからは止めはしない。
全てを知った上であなたが決めたのだから、
なにがあってもあなた自身が責任を取りなさい。
ただ…、
もう知らなかったでは済ませないからな。
子どもだからって許されると思うなよ。
自己責任とはそういうものではないだろうか?
第5章 さいごに
日本はこういった問題になると、いつも臭いものに蓋をするが、
ことわざの意味の通り、それはその場の一時しのぎにすぎず、
それでは根本的な解決には至ってない。
そこにある問題に向き合う事こそ、解決への第一歩である。
現在では藤井プロの活躍によって人気のある将棋も、
昭和中期までは賭け将棋が盛んであった。
関係者の努力により昭和50年頃には賭け将棋も廃れ、
娯楽・競技としての地位を向上していく。
そして今、麻雀界では藤田晋氏が、
麻雀に対する負のイメージの払拭、娯楽・競技としての地位向上の為に奔走している。
かつて、将棋界をはじめ多くの団体が通った道を、
今度は麻雀界がたどろうとしている。
変革の時は近い。
それでは今日はこのへんで。