商売意欲はキープしているがしかし(10月の現地取材の結果はどうでしたか?)
写真は9月末の近所の夕暮れです。
さて、アイスランド旅行は挟んだものの、先月に書いた「商売意欲」が今月どうなっているのか、比較を含み、書いてみようと思います。まず事実としては別になにか商売企画が前進したということは無く、「移住フェア」にいったら返ってちょっとやる気が削がれた、くらいのものです。焦りがあるからでしょうねえ、世間は分かってくれない、みたいな。おっさん初老ハゲがそういう態度していても世間はますます冷ややかなだけなので、ここは冷静冷静に考えていくしかありません(セルフ覚まし)。
そのように事実関係からみていくと、世の中はだいたいは「子どもがいるとかこれから生まれるなどの生産人口」を歓迎し、単体老年おっさんには冷たいですよね。わかっていることを改めて書くと、改めてわかりみであります。しょうがない。こちらも殺されるのを待っているだけの身でもないので、勝手にやらせていただきますと言うしかありません。
しかしまあ十分な資金(なんなら1000マン以上くらいの資産をもった上での余裕のある奴)があるならいざ知らず、そうではない身の移住行動はなかなか厳しいものだと思います。
そういう話はおいておいて、結局貧乏人(カネにものをいわすことができない)である私ができることは限られており、限られた中でできる可能な行動をするしかないのでしょう。それはいつもそうで、思えばこれまでもそうで、これからもそうです。(当たり前のことを当たり前だなあと確認しています)
さて、貧乏人なりにできることをしましょう。10月中旬に現地にいってうろうろする予定をつくりました(滞在)ので、それまでは、ネットでどのくらいしつこく検索すると情報が集まるのかを検証したり、土地を買うとしたらいくらで固定資産税はいくらで事業用住宅と見做されるのはどういう条件なのかとかを調べましょう。
こういうことの意欲はあるのです。
結局、このnoteで公開されている内沼晋太郎さんの『これからの本屋読本』を精読するに、スモールスタート、しかし最初から本屋で儲かるなんてことはなく、他の収入があってかつ本屋とか、本屋+何かの掛け算、みたいなことが現実の様相として書かれていました。そうでしょうなあ。
なにしろ今現実にどんどんやっていけない書店が廃業している現状ですから。
ここから先は私の感想です。何か特別な処方箋があるわけでもなく。どうしてもそれをしたい奴がいるとすれば、赤が出てるぶんを他の職で補う形でしか続けられないが、続けることでなにか資本主義的ではない価値が生まれる可能性がある、というところでしょうか。
ネット通販とか、フェア・市・フリマ・集まりでの出張販売もいいのですが、やはりなんというか「固定された場に本と人がいる」という状況をつくりたいのであります。なぜか。そこに来ればその本やその人がいるということが、来店の動機になる、そういう形でしか継続につながる成果など出せないと思うからです。
という理想はともかく、現実に「店」がその場所に出現したときに、果たしてそれは「集客」するようなものだろうか。
矛盾しているようですが、集客したところで、どうにもならんと思います。
ここで私は半年くらい見たことのある大規模小売店舗(いわゆるスーパーの業態)のことを考えているわけです。生活に不可欠な食料品、その他、生活用品、あらゆる消耗品、大規模であれば衣料・玩具・文房具・洗剤・などなど、だんだんドラッグストアと区別がつかなくなっていきますが、現代日本のなんだか矛盾した大規模小売店です。これができたおかげで、商店街という各専門店のあつまりの道が消滅せざるを得なくなった大規模小売店です。そこが客に対して言う言葉は二つしかありませんでした。「安い」「なんでもある」です。安いものがなんでもあるというのでしょうか。
なんでもは、無いですよね。生活で使うだろうものが置いてあり、生活で食べるだろうものが置いてあります。たくさん。安いかどうかは知りません。知りませんが、だいたいライバル店より明らかに高いということは無いでしょう。そういうものがたくさん並べてあります。
半年見た、と書きましたが、私が見たのはつまり勤め先としての場所がそうだったというだけです(販売員ではありません)。そこでは、正直いいまして、夢も希望もへったくれもないなあと、思っていました。
うーん・・・
と、このような考えの道筋だと、詰んでしまうわけです。
おそらくは偶然の力、運、出会い、重なり、波(WAVE)のようなものが支配するのが運命なのです。いきなりスピってる話かと思われるかもしれませんが、スピの人はたぶん費用対効果があると思っているだろうから、私はスピではありませんよ、費用対効果なんてあるもんですか、運命に。
カネがあっても運命をどうにかすることなんてできませんよ。
さていまは10月もやや後半になり、1週間の北海道滞在から帰ってまいりました。商売がしたい、移住がしたい、そんな54歳が北海道の十勝地方をみてまわってどうだったか?
どうにもなりゃしません。私程度の微細な資本しかない人間が移住してゼロから自営業を開始できるような場所(安い)は、無いのです。
スモールスタートというなら、段階を分割するしかない。
移住については「移住する(場所を具体的に変更する)」という一体の概念しかないので、分けてすこしずつ動くわけにもいかず、これは一旦保留にします。地域おこし協力隊のような「移住を行政がカネを出してサポート」する事業をゲットできるなら話は別ですが、そうでなくて自力のみでうごくには職もなくアパートもかりられません。
自営業は?本屋は?これもスモールに分割するしかないでしょうし、開業届と古物商を申請して、ひと函からでもフリマでもバザーでもマルシェでも、家賃が些少とか短期とか昼間一日だけみたいなスペースからやるしかないでしょう。可能なことはそのくらいです。というかそれってはじまりとしては可能と思えるだけいいんじゃないでしょうか。そのくらいの商売意欲は残っていたようで何よりです。
なにしろ北海道ではいろんな本屋をみました。文具店にしかみえないもの、新入荷あるのか?なもの、間口が客を拒否しているもの、あかるくきれいなもの、古書の仕分けが完璧なもの、通路がぎりぎり人間横向き一人分なもの、カフェ併設なもの、ランチがうまいもの、チャイがおいしかったところ。いろんな本屋古本屋がありますねえ。どこもいいところです。入った店はぜんぶいい店でした。大きい大規模書店新刊で若者がマンガ新刊を探しにきているところもあれば、客が私しかいないので恐縮なところもありました。
おまけで、いかにも移住の人がひらいたカフェギャラリーで芸術が爆発しているところとかもありました。こんなに爆発しているものを地元の人はどのようにみているのか>?と聞いてみたくなりましたが、案外カレーがおいしいと受け入れられていたりするのかもしれません。
実名で書くのは十勝清水駅前の道にあったブランジェリージョバンニさんのパンがハードでおいしかった件と、新得駅前相馬商店の棚の並びが好感もてたことです。客に対する情熱みたいなものを棚から(そしてパンのうまさから)感じました。浦幌・トリノメ商店さんのランチはチキンの味付けが最高でしたね。
途中から観光交じりになっており、念願の場所、かなやま湖(風景の美しさでいったらここは超きれいな割に人がぜんぜんいない度ですごくレアなんじゃないでしょうか)や釧路湿原(はじめてちゃんとした展望台から見てすごく素敵な広がりでした)など、自然の造形を楽しむことができました。車じゃないと動きがとれない面は確かにあり、レンタカーじゃなくて自家用車でよかったです。
もうしばらく静岡県西部であつさに苦しみながら暮らすこととなりそうですが、いつでもどんな場合でも意見や意志がころころ変わるということもわかり、柔軟にいこうと思いました。また来月のどこかで更新したいと思います。