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映像の性質 〈体験・祭典・伝達〉

 「絵や写真が動いたらいいのにな」と期待されて生まれた〈映像〉は、その後どんな成長をしたのでしょうか?

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 この図は、現在〈映像〉に含まれる手法・ジャンル・用途などを、同じ時間、同じ場所でそれを受け取る人数と、受け取る頻度によって大まかに配置したものです。
体験・祭典・伝達・日記の4象限に分けていますが、あくまでもこの説明のための分類なので、普遍的なものではありません。
(どの側面を取り上げるのか、で変わってくるものです。)

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●〈体験〉の映像

痛みのない恐怖と、恐怖のない痛みの快楽。

・映画(長編、短編)
・ドキュメンタリー

 この2つはどちらも、ここではないどこか、自分ではない誰かの生活を覗き見て疑似体験することを楽しみます。

●『1917』(2020)ドキュメンタリーと映画の中間的な作品例。
●第一次大戦中の戦地で、イギリス兵が味わった2時間を、ノーカット風の編集で鑑賞者も2時間かけて追体験します。まるで透明人間のように。
●どこでカットされているか、トリックを考えてみるだけでも面白いでしょう。


・ゲーム
・XR(クロスリアリティ)
・インタラクティブアート

 この3つは、ただ画面を眺めるのではなく、なにか行動し選択するとその結果が得られる点が共通しています。
 インタラクティブ(interactive)とは、相互作用の/双方向の/対話的な、という意味です。
作品と鑑賞者の関係性に美しさや魅力を感じさせるジャンルです。

●《工場と遊園地 Factory and Fantasy》(2014)
●行動(active)と行動の間(inter)に発生する性質。
●卵が映る画面をしばらく撫でると、温まってヒヨコが孵る。すると、鑑賞者は自分の体温と行為が結果につながったことを理解する。

 XRはあまり見慣れない言葉かも知れません。
近年、スマホなどの性能が上がり、拡張現実(AR)と仮想現実(VR)の利用価値に違いがあるのか、境界線が曖昧になってきたために便宜的に生まれた言葉です。
(《ポケモンGO》などはゲームでありARでありVRでもあります。)

 ゲームと聞くと、その没頭しやすい性質から、つい内に籠もるような印象を持ってしまうかも知れませんが、最初期のビデオゲーム《Teniss for Two》は名前の通り対人対戦なので、明らかにコミュニケーションを意識して作られています。
 インターネットが普及してからのオンラインゲームについては、肉体世界よりも遥かに外向的な交流できるようになりました。
ゲームに寂しい印象を持つのは、特定の世代だけのものになるかも知れませんね。

●《アンチャーテッド》シリーズが発売された2007年頃からシネマティックゲーム、つまり操作する映画という考えが普及しました。この功罪は興味深いので、改めて別な記事で取り上げようと思います。


・タイムラプス

 直訳すると〈時間経過〉です。
スマホの撮影機能として標準化されて、一般知名度が急上昇した撮影手法です。
 小さな人形や、大きな風景の時間間隔を操作することで、生き物の持つ時間の尺度に近づけることが出来ます。いわば神の目線です。

・アニメーション

 人類に馴染み深い表現手法です。
万物に命が宿る〈アニミズム〉を語源とするため、様々な手法を大きくまとめることができる懐の広い言葉です。
 描画、影絵、ストップモーション(タイムラプスの一種)、3DCG、モーショングラフィックス、立体造形物などこの項目について細分化するとそれだけで1つの表が必要になるので簡略的な説明に留めます。


●〈祭典〉の映像

2.5次元的な憑依。

・イベント照明
・動く書き割り
・プロジェクションマッピング

 近年の音楽・イベントシーンに関心があれば誰もが目にしたことがあるでしょう。
出演者の顔のアップを大型スクリーンに表示することも多いですが、作品表現的な役割では、広い意味でのCGが主流です。

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 プロジェクターを使う場合には良くも悪くもスクリーンの凹凸に影響を受けます。
近年では歌詞やイメージ映像を空中に透かして表示するためにメッシュ地の紗幕をスクリーンとして使用することが流行です。
これらはどれも、その日その場所で集団で体感する〈ハレ〉が最良の観賞方法なので、記録映像化されても同じ感動を得られないという問題があります。


●〈伝達〉の映像

人と人との媒介(メディウム)として。


・テレビ番組/ニュース番組
・ドラマ


 「テレビ番組」や「テレビドラマ」は名称として残っていますが、インターネット普及以降、どちらもテレビ画面だけで見るものではなくなったため呼称が難しいです。
  ドラマは手法のように言われますが、本来はドラマツルギーという演劇の性質を指す分類です。
 映画は演劇から発展した表現で、前述の通り〈体験〉重視です。
一方、テレビ文化はラジオつまり〈伝達〉のメディアから発展したという由来の違いがあります。
 一番大きな差は、CMが作品を寸断するかどうかでしょう。
作品をCM後にも見てもらえるように、仕方なく思わせぶりな編集をする内に、それが〈テレビの形式〉になってしまったのも仕方ないでしょう。
(プロダクトプレイスメントもここまでは出来ません)

 インターネットで変化は起きていますが、基本的に映画は〈こちらから行く〉もので、テレビドラマは〈こちらへ来る〉ものです。
興味ある人だけ観るのか、興味ない人に興味を持ってもらうのか、は大きな違いです。そこにはインフラ的な技術の制約や、倫理的な表現規制も含まれます。
 モチーフやテーマについて、視点の深さは映画、視点の広さはテレビドラマ、という印象で間違いはないでしょう。

 この似て非なる表現の役割や手法の違いは、Netflix配信《映画という文化-レンズ越しの景色-》の「映画かドラマ」にわかりやすくまとめられています。


・CM(コマーシャルメッセージ)
・Webサイトデザイン
・看板(デジタルサイネージ)
・PV(プロモーションビデオ)


 この4つは、ある商品の宣伝というよりも「私達の団体や企業は、社会に対してこういう貢献をしていきます」という意思表示のために使用されます。
液晶モニターなどの表示機器が軽量になっていくと、それまで紙で行っていた掲示という役目を映像が担っていくことになりました。
軽量になるということは、映像が壁や床や天井になり、建築の一部になっていくということです。


・MV(ミュージックビデオ)


 音楽はその時代の若者との相互反応するので、ここから映像表現に興味を持つ人は多いです。
 これは端的に言うと音楽コンテンツのCMです。
映画と比べ短時間で観賞でき、印象に残ることが優先されることから、いろんな撮影方法が実験されている場でもあります。
 なかにはストーリー仕立てのものもありますが、そういうものは映画監督志望の人が食いつなぐための副業的な扱いという噂です。
 近年はMV専業の監督もいるので、末端ジャンルの細分化が更に進みそうです。

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 以上がざっと、現在の映像ジャンルの説明です。
1つ説明していない〈日記〉の象限については、次回説明します。

 ここまで説明してきた通り、映像には様々な表現手法がありますが、そのほとんどがコンピュータ無しでは成り立たちません。
 実写撮影をするから実写映画なのか?
 イラストを使っているからアニメなのか?
ジャンルの境界線は予想以上にあいまいです。

 撮影現場はカメラを通してデータになり、編集されます。
つまり、すべての手法はデータを作るための選択肢だということです。

「絵や写真が動いたらいいのにな」の現在について、アニメ映画監督の押井守の言葉を援用すると、
合成を前提とすれば「すべての映画はアニメーションになっていく」でしょう。

 今回簡易的な説明に留めましたが、映像の中でもアニメは想像の世界を〈現実にしないまま〉実現する魅力的な表現です。
 もはやアニメを好きなことが一部の層だった時代ではありません。
しかしアニメファンなのか、アニメクリエーターなのかは大きな違いだと言えるでしょう。


おわり

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