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映像は見ちゃうよ、人間だもの。
皆さんも普段、映像を目にする機会が多いかと思います。
むしろ日常の話題のほとんどはアイドルの新作MVや、面白かった動画などについてなのではないでしょうか?
記憶の中の30年前では、映像と言えば映画館のチケットを買うかテレビの電源を入れることでしか見ることができない、〈きっかけ〉がある特別な体験でした。
しかしいま、街に立つだけで世の中には映像が溢れています。Youtube、Netflix、Twitterのみならず、自動販売機でさえ今日の気温に適した飲み物をオススメしてくれいます。
これらの映像は当然「映画好き」や「テレビっ子」だけが見ているのではありません。
それは多くの人が映像のために努力をした結果です。
しかしなぜ、人間は映像を求めるのでしょうか?
かつて、何か現実のすごい光景を観たときに「映画みたい」と言うのは最上位の褒め言葉でした。その後は「CGみたい」になり、webメディアが拡大した今では果たして何でしょうか?
ともあれ、映像は長らく一番凄い体験の例として人々に認知され、実写映画は現実の上位に置かれていました。
映像の歴史にはどのような節目があり、現在につながっているのでしょうか?現在から遡ってみましょう。
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●2005年 ジョード・カリム《Me at the zoo》
「いまゾウの前にいるんだけど、あいつらの鼻超長いぜ!」
いまの高校生が生まれた頃。
この投稿から、こんにち のYoutubeは始まっていきます。この《Me at the zoo》はインターネット上での観光名所となっており、2億回再生を記録しています。
PayPalに勤めていた4人の若者が起こしたベンチャー企業は、それまでテキストや写真など〈止まっていた〉ウェブコンテンツに対し、流行りだしていた〈動画〉を据えました。
Tubeとはつまりケーブルテレビ放送のことです。この〈あなた放送局〉の稼働前には情報は法人か自治体か、とりあえず社会的な権力のない個人が発信するものではありませんでした。
批判を受けながらも、この〈動画サービス〉には、会社設立から1年半で1日に3,000万本以上の動画が投稿されました。2年もするとGoogleに買収され、ウェブ上のアクセス数トップ10入りを果たします。
カリムが話す何の価値もない内容からわかるように、情報発信が一部の人のものだけではなくなり、質も量も、光も影も爆発的に拡大する時代になっていきます。
●1895年 リュミエール兄弟『工場の出口』
世界をハックしようとした興奮の時代
今から約130年前にパリで上映されたこの《シネマトグラフ》が、歴史上最初の〈有料上映〉映画と言われています。
●その4年前(1891年)に発表されたエジソンの《キネトスコープ》は作品を見るのに一人ずつ箱を覗き込む必要がありました。(一周回ってオフラインのVRゴーグルに近いですね)
●更に3年前(1888年)にプランスが撮影した現存最古の映画は長らく歴史の物陰でホコリを被っていました。
19世紀末は「見えぬものを見よ、知らぬものを知れ」の時代です。大航海時代を経て、植民地を獲得し、まさに世界が物理的につながっていきました。水平世界を知った後は、見えない世界を求め、そのために、様々な視覚技術が開発されていきました。
(この時期の変化は同時多発的でとてもおもしろいので、別途取り上げたいです。)
映画と言うと、まるで異世界のような景色を表現できるようなイメージがありますが、発明当時ではYoutubeと同様に〈誰かのなんでもない日常〉を切り出して、他人に見せるというところから始まっていたのです。
●1878年 マイブリッジ『動物の運動』 Plate.50
「馬はギャロップ(駆け足)するときに片足を地に付けるのか?」
映画の夜明け前の時期のことです。あるお金持ちは賭け事をしていました。
その証拠写真を撮るように依頼されたのはエドワード・マイブリッジ。
写真が発明され、画家を辞めて写真技師になった男です。その名は後世、映像史、特にアニメーション史に残っていくことになります。
彼は馬の連続写真を撮影した後も、鳥や人間などを撮影し写真集にまとめています。(その出版権を巡って上記の金持ちとモメることになります。)
連続写真を撮影するには、画が写る感光剤の感度や、照明環境の調整、動物の機嫌取りなど、目に見えない苦労がありました。
今で言うパラパラ漫画やコマドリ動画のようなたどたどしさで、〈動きの表現〉は進んでいくことになります。
●1825年 ニエプス《馬引く男》
それを描くのは、人の手ではない。
これは写真の父ニセフォール・ニエプスが撮影した記録上最古の《ヘリオグラフィ》の1枚です。
●現実の光景ではなく、版画を写真撮影した、いわゆる複写です。
●1839年に初の、撮影術についての書籍を出版したダゲールは、ニエプスに協力を求めています。いわば開発と普及で2人の父です。
発明当時の写真は、意外にもアスファルトや水銀などを使って様々な現像方法が試されました。薬剤などの反応からコントラストが高く影が濃く浮かび上がってしまうことから〈撮影〉という言葉につながっていきます。
名称のヘリオとは太陽のことです。
後にジャンル全体を指すフォトグラフィー(Photography)という言葉は、光(フォトン)で描く(グラフ)という原理を示します。
同時に、描画自体は光に任せ、人間は何をどう写すのかに集中するという作業分担が始まっていきます。
写真が登場したことで、それまで人の顔や風景を伝える役目を担っていた画家たちは岐路に立たされます。
ある者はマイブリッジのように写真技師になり、ある者は見た目の描写を明け渡し人間の感覚を表現しようと抽象絵画〈印象派〉などを開拓していきます。
水面に投げられた石が作る波紋は、思わぬ模様を描くものですね。
●紀元前770年頃 カメラ・オブスクラの原理
色があるけど逆さまで、動くけど保存できない。
写真が生まれる前は、絵画・彫刻・舞台演劇・音楽などが表現を担っていました。
映像表現を追って時代を一気に遡ります。このカメラ・オブスクラは、古代にギリシャや中国で発見された記録があります。
私達が現在使うカメラという言葉は、ラテン語で「部屋・箱」という意味です。(オブスクラは「暗い」の意味)
真っ暗にした箱の壁に一点だけ極小の穴を空けると、その箇所がレンズ効果をもち、穴と反対側の壁に外の世界を上下左右反転させて投影します。
この光学現象は、魔法のように見えたことでしょう。
ただし、映る光を直接記録する手段がありませんでした。
せいぜいが壁に写った光の輪郭を筆記具でなぞることで、風景のトレースを行うくらいです。
この紀元前に見た〈カラーでリアルタイムに動く〉魔法を表現するために、人類は1935年のカラーフィルム〈コダクローム〉まで、2600年ほど待つことになります。
●紀元前30,000年頃 洞窟壁画
ずっと世界は動いていた。
人類がまだ賢き獣の集まりであったころ、現在のフランスのショーヴェにある洞窟で壁画が描かれました。
野牛の群れの中に、所々に体が部分的にしか描かれていない個体がいます。
これは奥行きで隠れていることの表現だと思われていましたが、近年の研究で足が4本以上描かれているものは、走っている残像を描いているのではと再解釈されました。
つまり、現在の漫画的な表現と同様に、多重露光の時間軸の表現がされていた可能性があるということです。
現在では、これが人類(ホモサピエンス)最古の動画的な表現だと言われています。(表現だけなら更に遡る)
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こんにちまで続く、映像表現のあらすじはいかがでしょうか?
映像の根っこを辿ってみると、何か皆さんが想像しがちな「狂気で孤高のアーティストが美に魂を捧げる」ようなものではなく、
そのほとんどが「自分が見ている世界を動いたまま記録したい」や「色を付けたまま記録したい」という欲求の歴史だということがわかると思います。
映像という言葉に対応する英語は複数ありますが、想像そのものの〈image〉が翻訳に当てられていることからも、映像は人の性質との密接な関係が伺えます。
そう考えると、いまのTick tockや自撮り文化というものは、撮影機が身近になっただけで人類がずっと持っていた欲望を実現した、ひとつの結果とも言えますね。
絵画や写真を変化させたい。建築や演劇で写真よりも多くの情報を残したい。
多くの情報を求めると表現は時間のレイヤーを求め、映像へ向かっていきます。(順序が逆ですが)
同じ精度の情報量を求めると、平面<立体<映像になっていきます。
この質の差は決して表現そのものの優劣ではなく棲み分けです。
むしろ狭い意味での映像は、電源が必要で、全貌を把握するのに時間がかかるという点で鑑賞コストが高く、触れにくい表現分野だと言えます。
現代において、おもしろい漫画を読めばアニメ化を期待するように、多くの人は静止表現の先に映像があることを当たり前だと思ってしまっています。
映像を作る目線や時間軸を作るアイデアは、他のどんなジャンルに関わっているとしても、もう避けては通れない必須事項だと言えるでしょう。
おわり