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あなたはn回目の発明者?

 素敵なアイデアを思いついても、調べてみると既に誰かが世に出している、ということはしばしば起こります。
しかし、思いついた人が文字を持たず、言葉を持たず、誰にも情報を残さなければ、アイデアは普及すること無く〈無かったこと〉になります。
 しかし、何百年も経つうちに、似たようなトラブルに直面し、似たような解決方法を思いつく人が現れたら、その人も発明者です。

 煙のもとを辿ると火種があるように、誰かが何かを思いつくときに、そこには少なとも課題と材料があります。それに不特定多数の人が触れられる状況であれば、実は発明は自然発生する現象ということもできます。


 13,000〜14,000年前の遺跡から発見された円盤と、200年前(1824年以降)に発明され流行した〈ソーマトロープ〉という玩具を比べてみましょう。
 古代の方は、石の円盤の表裏に仔牛と成牛が描かれ、家畜あるいは獲物の成長を祈願しているといわれています。

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 近代の方は、表裏に鳥と猟犬が描かれ、残像が〈大猟〉の意味で重なるように出来ています。

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右:猟犬はなぜ追い剥ぎみたいなの?
左:カモを求めているからだよ。


 映像に限ったことだけではありませんが、一度廃れた技術を後世の天才が再出現させていった例は他にもあります。
 紀元前220年頃の古代中国で発見され、2000年後の1834年のフランスで再発明された〈スリットアニメーション〉もその1つです。

 アニメーションの語源がアニミズム、つまり万物に命が宿ることだという例を挙げるまでもなく、時間や場所が違くても繰り返し発明されるほど、人間にとって何かを動かすことや、イメージが動いてくれることは根深い願望だと言えます。

 それは洞窟に住んでいた3万年前から続く願望です。でもそのときにカメラとモニターはまだありませんでした。

 あなたが過去を見るときに、そこにいるのは〈古代人〉ではなく、普遍的に共通点が多い同じ人間です。牧歌的な集落で暮らしていても、暑いのも寒いのも嫌で、人付き合いに悩んでいるはずです。

 過去の情報が全て時代遅れだと思い込んで調べることもしない人は、せっかく回答例があるのに同じ苦労をすることになる、という教訓のようにも感じられます。
(それを知った上で自分なりの回答を模索する姿勢は素晴らしいですが。)

 躓きの石は、ずっと変わらず誰にでも出っ張っているのです。


おわり

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