HCI研究者としてキャリアスタートした僕がSANUで未来の暮らしづくりに取り組む理由
好きな時に 好きな場所で 好きな人と 暮らし働ける仕組みを創りたい
そんなことを思うようになった発端は、学生時代にカナダのバンフを旅行したときのことだ。息を呑むようなカナディアンロッキーの山々や湖の絶景に魅せられて、世界にはこんなに美しい自然があるんだと知った。この美しい自然に身を置いて一生暮らせたらどんなに幸せだろうと考えた。日本では当時も今も、都市に集まって暮らし、働くことが当たり前のような風潮があるが、それはごく一部の選択肢でしかなく、この世界にはもっと豊かな人生を送れる可能性が存在しているということに気づいた瞬間だった。
人生の大半の時間を都市でずっと我慢して働き、ようやく引退してから自然豊かな土地で第二の人生を歩む、という生き方も存在していた。だが、自分も家族ももっと若い時期から好きな場所で暮らすことができれば、体験できることの量や幅も広がり、人生が豊かになるのではないだろうか。ただ一方で、ずっと都市から離れた自然で暮らすのも、それはそれで大変な面があるだろうと想像した。一年の中では穏やかな気候の時期ばかりではなく、自然の厳しさを見せつけられるかもしれない。どんなに素敵な景色でも、毎日見ていたら当たり前に感じて感動が薄れてしまうかもしれない。時にはリアルで会いたい知人や親族がいるだろうし、街の暮らしの利便性や刺激も捨てきれないかもしれない。
とすると、暮らす・働く時間や場所の自由度を究極的に高めることができればよいのではないだろうか。今週はアメリカの西海岸で同僚と仕事をし、来週はスイスの山々を見ながらワーケーション、その次は日本の居酒屋で旧友と杯を交わす。
そう考えるだけでワクワクした。どうやったらその世界を実現できるだろうか?
資金さえあれば、世界中を旅行することができる。しかし現地で対面している人とのコミュニケーションは密に行えるが、離れた場所にいる家族、同僚とコミュニケーションが疎になってしまえば、仕事にもプライベートにも支障をきたす。そこで必要なのは、遠隔コミュニケーション・コラボレーション技術によるイノベーションだと考えた。世界中どこからでも、その場を共有するかのようにコミュニケーション・コラボレーションできれば、実現したい世界に近づけると考えた。
修士課程在学中はVR、ARといった技術を用いた、遠隔コラボレーションの研究に励んだ。HCI(Human Computer Interaction)という研究分野の一領域である。当時のHMD(Head Mouted Display)はPCと太いケーブルで繋がれており、これを被り続ける生活も、自由なんだか不自由なんだか分からなく、実用化にはまだ時間がかかると感じた。
この分野の研究を深めたく、NTTのサイバーソリューション研究所(強そうな名前)に研究員として入社し、遠隔コミュニケーションの研究を続けた。社会人として働きながら、同研究テーマで博士課程にも通った。研究に没頭する日々はものすごく楽しかった。ただ一方で、研究して論文発表するだけでは、望む世界を実現できないとも感じていた。どんなに素晴らしいアイデアも、実社会に実装されなくては実現しないのだ。そこでグループの事業会社へ出向する機会を利用し、サービスデザイン、リーンスタートアップ、ソフトウェア開発、アジャイル開発などを学んでいった。
その間も同僚や友人に、夢を語り続けた。「そんな世界が実現したら素晴らしい」と言ってくれる友人が多かったが、「制度や慣習が一番のネックになるだろうね」という冷静なコメントをくれる同僚や、「そんな世界には絶対ならない」という厳しいコメントをくれる上司もいた。この「制度や慣習」の部分は、確かにそうだなと思っていたのだが、不幸中の幸いといっていいものか、後のパンデミックの影響で大きく状況が好転することになる。
プロダクトマネジメントという仕事
出向中の企業でAI事業を立ち上げるタスクフォースができ、AI部分の開発のまとめ役として研究所出身の自分に白羽の矢が立った。AIエンジン部分はNew Yorkを拠点とするスタートアップ企業とNTT研究所の技術を組み合わせ、日本語を解釈し、話すことができるAIエージェントとして仕立てる開発を行うのだ。
技術分野としては自然言語処理(NLP:Natural Language Processing)という領域で、全くのド素人だったため、始めエンジニアの会話が全く分からなかった。このころのNLPは、W2Vと呼ばれる分散表現を使うことで、正規表現を用いた文字列の一致でなく、多少の表記揺れがあっても意味の近さを判定できるようになっていた頃だ。それでも開発現場にはまだ難解な文法表現が飛び交っていた。日本語の会話でも難解極まりなかったが、それをさらに英語話者のエンジニアたちと議論して仕様を詰めていくのは、想像を絶するハードさだった。日本とNWの一日が交互に進んでいき、地球は丸いのだと実感した。
この経験から、新技術を(必要に応じて研究し)応用することで プロダクトを創り、それによって人々の生活を変える、そのまとめ役というのが、自分がやりたい仕事の職種なのではないかと気づいた。それは現在の職種名で言うと、プロダクトマネージャーである。
そこで、このプロダクトマネージャーとしてのスキルを磨くため、リクルートのAI研究所、Megagon Labsへ移った。日本とMountain Viewに研究拠点を持つ研究所で、世界や事業に高いインパクトを与える新規プロダクトと、その実現に必要な技術研究の企画、プロトタイピング、事業へのフィジビリ実装などをまとめ、実行する役割を担った。ここでも主に扱った技術はNLPであった。この頃のNLPは、2018年にGoogleが発表したBERTと呼ばれる大規模言語モデルによって、大きなイノベーションが起こっていた。文章単位での意味の推定精度がこれまでより格段に高まり、一部の評価では人間に迫るレベルにまで達していた。この技術を応用して、これまで人間にしかできなかったような対話のできるエージェント実現を目指し、研究開発した。
盛り上がるAI業界、しかし…
ご存知の通り、AI業界は加熱する一方で、人材としての市場価値を考えるならば、その業界へ残り続けた方が良い選択肢だったかもしれない。しかし、自分が本当に実現したい世界は、AIエージェントに囲まれた未来ではなかった。
プロダクトマネージャーとしての修行期間に、プライベートでも夢に近づくべく活動を続けていた。「求める世界が実現すると果たして本当に幸せになれるのか」を確かめるため、少しでも多拠点生活を実践して検証しようと考えていた。目標がどんなに大きくても、リーンスタートアップの考え方を参考に、実現へ向けて細かなステップを刻み、Build、Measure、Learnを繰り返した。
まず1つ目として、タイニーハウスをセルフビルドするためのスキル習得に励んだ。基礎、土台を作るためのウッドデッキ作り。柱を立てる練習としてパーゴラ作りなどを繰り返し、DIYスキルを向上させていった。
次に、土地探し。関東近郊を旅行しながら、2拠点目として適切な土地を探した。夏でも涼しく過ごしやすく、空気が美味しく、景色が綺麗。1st Homeの横浜からの移動距離も無理ない場所として、八ヶ岳南麓に決めた。八ヶ岳南麓に決めてからは、地元の不動産家のサイトを細かくチェック。新着物件を見つけては、日帰り弾丸調査へ通った。また、一年を通して通い季節ごとの気候を体感し、標高によって気温がかなり変わることを知った。
土地探しに数年かけ、ついに程よい山林をみつけたときには、ちょうどパンデミック真っ只中。友人の協力者を募って一緒にセルフビルド、というようなご時世ではなくなってしまった。また、子どもが産まれたこともあり、寒冷地にタイニーハウスを建て多拠点生活を営むのも少し無理が出てきてしまっていた。そこで建物自体はログハウスビルダーにお願いし、自分は中のキッチン、洗面など水回りを作るハーフビルドへと切り替えた。このログハウスの間取りを考えるのは楽しすぎた。毎晩のように深夜まで、夢中になって間取りの改善案やパースのスケッチを描いていた。いつのまにかそれが一番の趣味になっていた。
八ヶ岳南麓に2拠点目のログハウスを建て、多拠点生活が良いことの確証を得た。大きな理由は以下3点。
気候が素晴らしく、単純にその場にいるだけで心身が気持ちが良く、スッキリする。雨が降っていても気持ちがいい。アスファルトに雨が打ち付ける中で香るあのほこりっぽい匂いはしない。
横浜で過ごす週末と八ヶ岳で過ごす週末にメリハリができ、横浜で過ごす時間も大切に使おうと意識するようになった。過ごす場所を自己選択できることが、どう過ごすかをより能動的に選択することにつながっているのかもしれない。
子どもが小さいうちにこの環境で生活できることの価値をプライスレスに感じる。子どもたちには田舎というものがなかった。それが八ヶ岳では、敷地でカエルを探して戯れている。小さな池を作ったらそれが冬に凍り、その上ではしゃいでいる。また雪が降ったときには大きなかまくらを作った。夏は敷地の内外にクワガタやカブトムシが飛んでいる。子どもが「山梨のお家は自然が多いから好き」と言ってくれた。しみじみよかったと感じた。
一方で、大きな課題も感じた。建築に際して、極力敷地の木を伐採しないようにするなど、なるべく元の山林を壊さないよう気をつけた。しかし、基礎を作るために、土を掘り起こし、コンクリートで地面を固めたのを目にした瞬間、ここに存在した植物や虫、土中環境を大きく壊してしまったことを痛感した。美しい自然の中に身をおくための小さなシェルターとして住まいを建てるのに、自然そのものを破壊してしまった。やがてその自然へのダメージは、自分たちへの負の影響として返ってくるのだろう。
次の瞬間、人間の生活を豊かにしようとするさまざまな努力が、自然環境にダメージを与え、巡り巡って人間への悪影響として返ってくることへと思考が遷移した。技術開発もそうかもしれない。遠隔コミュニケーションやAI技術を進歩させることによって、人間に本来備わっていたコミュニケーション能力を低下させることにつながるかもしれない。暮らす、働く場所の自由度を高めれば高めるほど自然環境にダメージを与えてしまうのならば、ゆくゆくはその生活が無に帰することにつながる。夢として描いていた世界は、地球や人を破壊することにつながるかもしれない。
そう考えると一気に課題意識が芽生えた。建てれば建てるほど自然環境をプラスに改善する住まいはできないのだろうか?それを探求したくて仕方なくなった。趣味が高じて建築への興味が高まっていたことも重なり、大学への入学を決意した。京都芸術大学の建築デザインコースへ入学した。
本気で取り組みたいこと
「好きな時に 好きな場所で 好きな人と 暮らし働ける仕組みを創りたい。それも地球と人によい形で」
それに真正面から向き合うことが仕事にできたら最高だと考えるようになった。今までの積み重ねも活かすことができ、勉強を始めた建築にも関われる仕事。そんな仕事が見つかったら奇跡だと考えていた。だがそんな奇跡が起こることに期待しても仕方なく、また思う方向へ1つずつ検証を重ねながら進むしかないと考えていた。
山の立地に構えた二拠点目が素晴らしかったので、海の立地にも拠点を増やす方法を考えた。これ以上拠点を増やすためには、個人での所有には無理があり、やはり以前から検討していた、複数人でシェアする形態を導入するしかない。(リクルート時代に新規事業案として応募したビジネスモデルは、箸にも棒にも引っ掛からなかった)
そこで久しぶりに市場調査したところ、、見つけてしまった。
Live with Nature 自然と共に生きる。
SANU創業者のHilo、Genの記事を読んだ後、興奮して明け方まで眠れなかった。(閲覧注意)
SANUにジョインしてからは、Digital productのプロダクトマネジメントと、カスタマーサクセスを担っている。SANUキャビンの中での滞在はリアルなものだが、予約から無人チェックイン・アウトまで、Digitalのアプリケーションとの関わりは切れない。SANU 2nd homeサービスでは、オンライン・オフラインをつないだ体験づくりが重要である。
PCを開いてDigitalの要件定義をすることもあれば、白樺湖へ出かけて花火大会中のメンバー交流イベントの運営をすることもある日々を、楽しみながら仕事をしている。現在の体験を良くするためのこと、未来の体験をつくるためのことが山積みであるため、プロダクトマネージャーとしての仕事は尽きることはない。
これから成し遂げたい夢
1つ目は、SANUを世界中に広げ、今より自然豊かになった地球上で自由に暮らすことである。
この夢を実現するために重要な技術はテレイグジスタンスとVR、自動運転技術。そしてAIはベースとして必要になるものだと考えている。みんなが好きな時に、好きな場所で、その時一番会いたい人と一緒に過ごしている。それでいて、離れている場所同士でもかなりリアルにコミュニケーションができる。オフィス回帰する必要はなく、本当に集まりたいときには集まる、遠隔からでも支障ないほどリアルに人と会うことができる。そんな世界だ。
これが実現するころの一日は、たぶんこんなふうになっているだろう。
朝キャビンで目を覚まし、朝日の差し込む雑木林をランして活力を得る。キャビンに戻ったら小型のHMDをかけて仲間と集い、仕事をする。集まる場所は、仮想空間内のこともあれば、地球の裏側のキャビンにテレイグジスタンスで移動して集まることもある。
お昼は、まだ雪を被った南アルプスが綺麗に見渡せる丘へピクニック。散歩していいインスピレーションを得たら、キャビンへ戻ってまたHMDをかけ、新しいアイデアを仲間と議論する。
焚き火料理を夕食として楽しみ、食後の自由時間にまたHMDをかける。「熱帯のジャングル奥地で、秘境にある大迫力の滝が見たい」リクエストをAIが解釈し、テレイグジスタンスで瞬間移動する。そこで刺激的な冒険を楽しむ。
冒険は刺激的だったが、明日からの滞在先としては、先日の仮想旅行ででかけた、穏やかな南国の海辺にしたい。そのリクエストをAIに伝えると滞在の予定がカレンダーに登録される。エアストリームのようなカプセル型のトレーラーで眠りにつくと、翌朝は穏やかな南国、海辺のSANUでの一日がスタートする。
その頃、地上では大きなコンクリートの塊は数を減らし、豊かな自然が戻り、人口の密集も解消されていることだろう。
現在の夢の2つ目は、地球と人によい、海近くの自邸を自分で設計し、建てること。
目の前にやるかやらないかの選択肢がある場合、人生最後の瞬間からバックキャストし、やらないと後悔すると思うならばやる、と決めている。そしてやると決めたら、少しずつでもリーンに進んでいく。今進行中の具体的なアクションは2つ。
地球と人によい、これからの住まいについて、大学の課題に取り組む中で、また学友や建築家の先生方と議論する中で模索している
自然との共生を検証するための小さな実験小屋を、八ヶ岳の敷地にセルフビルド中である
本当にやりたいことを追求することは、決して楽ではないが、楽しくて仕方がない。みなさんもぜひ、人生最後の瞬間からバックキャストし、やらないと後悔すると思うことに踏み出してみてはいかがだろうか。夢を語りたくなったなら、お待ちしてます!
SANU 2nd Homeのサービスにもご興味いただけた方は、是非 ↓ のブランドサイトもご覧ください!!