Find a hand in the snow
曇りの日、古い本を片付けながら、床に座り「grapefruit」を何年ぶりかに開いた。
15歳くらいの頃、狂ったようにYoko Onoに夢中だった。彼女の60年代の作品が特に好きだった。
それから、確か25歳のとき、東京のバーで彼女とJohn Lennonのポスターを目にして、誰かとまた彼女について話していた。隣の席の見知らぬ人が、「彼が働いていたレストランにYokoとSeanが来たことがあって、彼女はスタッフに対して非常に無礼だった」と言った。
なぜかそのとき、YokoがJulianにLennonの手紙をオークションで売りに出し、Julianが自分で父への手紙を買い戻さざるを得なかったことを思い出した。そして彼女がJulianを「the mistake child」と呼んだという話も。そんな昔の記憶がよみがえり、いつの間にかその見知らぬ人の言葉を信じてしまっていた。
気づけば、彼女に関するニュースにも目を向けなくなっていた。
実家の壁にはまだ彼女のポスターが掛かっているのに。
Yoko Onoについて最後に話したのは、去年の夏、Yに出会ったときだった。彼は「Grapefruit」が好きだと言い、私はその中国版を持っていると答えた。
そして今、何年も経った今、この、私にとってますます掴みどころのない彼女が書いた詩を目にしている。
Think that snow is falling everywhere all the time.
When you talk with a person, think that snow is falling between you and on the person.
Stop conversing when you think the person is covered by snow.
私とYはもう十二日間、言葉を交わしていない。
この詩はまるで、私と彼のために書かれたもののようだ。
目を閉じると見えてくる。果てしない、白一色の沈黙が、あたり一面に降り積もり、すべてを埋め尽くしていく。
2024/11/05
サン
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