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国際カップルの京都暮らし|久しぶりのツーショット

木曜日の朝、彼の試験に付き合うため、郊外へ向かうことになった。こんなに早く起きるのは本当に久しぶりだ。京阪電車の中で慌ただしく動く人々を眺めながら、なんとなく自分がまだ恵まれているように感じた。寝不足で目が重いけれど、駅近くのカフェでのんびりと朝食をとることができるからだ。

時間はまだ9時40分。カフェの開店は10時。店の前で待っていると、炎天下の中、青空と白い雲の下を電車が次々と駆け抜けていく。その光景に少し目眩がしながらも、またあの疑問が胸に湧き上がってきた。「人として生きること、いったい何が本当に大切なのだろう?」

昨日、もうすぐ大学を卒業するという中国人の友人が、彼の周りの若者たちの現状について話してくれた。
「みんなただ‘生きている’だけで、‘生活’していないみたいだ」と彼は言う。みんな、強烈な物欲に突き動かされている。お金がない人は生計を立てるために必死になり、お金がある人はさらに稼ごうとする。誰も本当に立ち止まって考えることがない。
翻訳の仕事をしていたときに出会った、とても裕福なお姉さんが言っていたことを思い出す。「あなたの生活スタイルは、中国の99%の若者たちを打ち負かすことができるわ。」

もちろん、私も不安になることはある。特に、私のようにこの年齢でいまだに伝統的な「責任」に縛られることを望まない人にとっては。
家もなく、車もなく、結婚もせず、子どももいない。だから当然、ローンもない。でも、もしそれが「安定」を意味するのなら、私は漂っているように見えたとしても、自由を選びたい。

そんなことよりも、雨が落ちる速度、川の波紋、雲の形の変化、レコード針の動き、コーヒー豆の香り、駅の階段で彼と交わすキス、平日の二人の食事……私にとっては、それらの方がずっと大切だ。

その朝、カフェのマスターは9時49分、開店まであと11分という時に私を店内に招き入れてくれた。開業して54年になるこのカフェの唯一の客として、開店前の静けさと美しい空気を感じるという幸運に恵まれた。スタッフが池の金魚に餌をやり、「営業中」の看板を掛け、クラシック音楽を流す様子が何とも言えない魅力的だった。

平日朝のデートは、この店の特製たまごトーストのように、広がりのある豊かさそのものだ。

郊外から京都に戻り、阪急電車で四条へ。普段は観光客で賑わい、写真を撮るために列をなしている高島屋SCの1階にあるマリオ像の前が、今日は誰もいない。何度も通り過ぎて一度も立ち止まらなかった私たちは、互いに冗談を飛ばした。「今のうちに、一枚撮ろうか?」
その時、スタッフがそれを耳にして、「よかったら写真を撮りましょうか?」と申し出てくれた。こうして、久しぶりにこんなツーショットが撮れたのだった。

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