オールマイノリティプロジェクト現地参加してきました!
2023年4月23日
オールマイノリティプロジェクトの公開シンポジウム
「マイノリティに対して、社会の認知や行動は変容するか?」
に現地東京専修大学にて現地参加してきました。
オンラインも含めると、1100人ほどの方が参加されたようです。
その2/3程度は発達障害当事者とのことでした。
概要は下のリンクからご確認ください。
All Minorities Project オールマイノリティープロジェクト (all-minorities.com)
千葉大学こどものこころ発達発達教育研究センター 教授 大島 郁葉 氏
ちくわぶPh.D.(@yakizakana_)さん / Twitter
※実名ではないので大島さんではないかもしれません。間違っていたらごめんなさい。
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 教授 本田 秀夫 氏
HIDEO HONDA(@hihojan10)さん / Twitter
一般社団法人UNIVA 理事 野口 晃菜 氏
野口晃菜 Akina Noguchi(@akinaln)さん / Twitter
らが登壇されました。
普段からお三方の発信される情報を得ているので、ご講演内容はぼくにとっては「再確認」という感じでした。
講演は印刷物の資料があったほうがわかりやすく、自分のペースでインプットできるので、あれば入手したかったです。アーカイブがあれば確認します。
ぼくが今回参加して良かったと思えたのは、参加者からの質問を含むディスカッションでひらめきがあったことです。
※主催者様へ:リアルタイムで回答していただける機会はライブならではですので、もっと時間があったら良かったなと思いました。
また、マイクロアグレッションに気づくためのアプリ開発にも、とても期待しているし、とてもとても楽しみです。先生方に届くといいなあ。
ディスカッションでひらめいたこと
「マイクロアグレッションの自覚と社会の変容」
※マイクロアグレッション:褒めたつもりが…見えない差別「マイクロアグレッション」の実態 (cosmopolitan.com)
オンライン参加者からの「マジョリティの方に、自身のマイクロアグレッションを自覚してもらうにはどうすればいいか」といった旨の質問がありました。
注:進行・展開が早すぎて追いつけないところがあり、メモもとれず、うろ覚えなところがあるのですが、間違っていたらどなたでもご指摘ください。
登壇者の方々は、自分もマイノリティ属性を持ち、苦しむことでマジョリティ特権やマイクロアグレッションを自覚した。自覚してもらうには経験されるのがいいけど、難しい…。主張しても、私たち(マジョリティ)の契機?(利益のことか?)はどうなる?と反論する人もいる。理屈だけでは状況は変わらない。戦いの部分がある(デモなどを例示)との旨の発言をされたかと思います。
※登壇者方々の真意を聞いたわけではなく、ぼくの記憶による勝手な発言なので、アーカイブがあったら見直して訂正したいと思います。
ぼくは、マジョリティが自身の特権やマイクロアグレッションを自覚するには、「マジョリティ自身が、デメリットや不利益、差別や痛み、死ぬほどの孤独や苦しみを受ければわかるだろう」と思っていた時期があります。しかし、痛みを知らせる言動は、それこそマイノリティが負ってきたダメージを与えることになるし、奨励されないこともたくさんあります。挙句、結局は分断され、さらにマイノリティが苦しむ構造になってしまうことも想像できます。誰かが火炎瓶をつくって投げる前に、はやく…。とも思っています。
しかし、もう少し俯瞰して社会を見れば、「不利益」ではなく「利益」で知らせることもできるのではないかと思っています。
注:登壇者方々は上記のようには言っておられません。
”変える”ではなく”つくる”
「変える」という発想をしてても、すぐには社会を変えられないのが事実だと思っています。もちろん変える活動やマイノリティの主張を、決して否定しません。
しかし、例えば、蚕都Grantsはこういう理念を持っています。
マジョリティのコミュニティはそれとしてある程度認めた上で、マイノリティコミュニティから、マジョリティに「利益」をもたらす。痛みや苦しみといったものの正反対にある感覚も、自らのマイクロアグレッションを自覚することにもつながる。
ぼくらマイノリティは何を生産し、何をマジョリティに享受してもらうのか。マジョリティの中で薄れた感覚や価値観、マジョリティがゆえに生産できないもの。それはたぶんマジョリティが「外れ値」とするところにあるかもしれない。外れ値を出すのには、マジョリティが使うツールや手段が無効になってしまうことはたくさんある。だから今、一旦協同することが重要だと考えています。
注:学校教育、職場、経済、地域などなど、どこに視座を置くかで状況と有効手段は大きく変わりますが…
例えば、ひとつの具体的な活動としては、資本主義という手段の選択によって消極的に喪失しそうなものを、完全に消える前に多角的に再考するというのは、やっぱり方向性は間違っていないと自負しています。
そう思うと、頑張れる衝動が湧いてくるし。、本田先生を生で見れたのも良かった(ファンだから)。京都綾部から遥々参加してよかった。
それが今回のシンポジウムで得たものです。
もっと具体的にアクションや結果を知りたい方は、これから蚕都Grantsが、学び転び怒り泣いたり笑ったりするのを、ぜひご覧になってください。
そして、ぜひともご賛同をお願いいたします。
最後に
長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
現地参加の発達障害当事者の方から、講演が、早口で展開も早く、ついていけず、当事者らに配慮がないことを残念に思った。との旨の貴重なご意見がありました。
ぼくも全く同感でした。うちのメンバーもオンラインで参加していましたが、しんどくなってきたからベッドで横になって、どうにか聞き終えたと話していました。
その現地参加者の方のご意見に対し、登壇者の方々は、とても丁寧に謝罪をされていました。一回目の開催ということもあって、次回にはご意見を反映したいとも返答されていました。
ある意味、主催者が主題にカウンターを食らうようなシンポジウムで、ぼくはとっても良かったと思いました。次はもっと良い会に参加できることをとても楽しみにしています。
余談…
終わって外で電話してたら、本田先生が出てこられたのですが、一緒に写真撮ってくださいって言い出せず、ちょっと追跡して見失ってしまいました。次こそはw