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がきんちょ。

友達の話が分からなくなり始めたのはいつからだろう。

みんなが「大人」になったいくのに自分は足踏みを続けていると感じたのはいつからだろう。


まだまだ、俺はがきんちょやなー、という話。


答辞

明確に気づいたのは大学に入ってから。あまりにも遅すぎるとは思うけれど、気づいただけでも良しにしよう。


大学生になってから高校生の時に友達が言っていたこと、やっていたことの意味が分かってきた。

この感覚は高校生の時も味わった。

中学生の頃の友達がしていたことの意味が分かったことを。


肌感覚では3年くらい周りと比べて遅れていると思う。

だから、今現在、やっと大学生になったくらいの精神年齢ということ。


これを明確に気づくきっかけになったのは、ある答辞だった。

高校生の時に現代文の授業で答辞を書く課題があった。そして、現代文の先生が選んだ答辞を先生が代読するというものだった。

ある答辞を先生が朗読した時、私にはまったく理解できなかった。

何度も読み返してもさっぱりという状態だった。

私は決心した。その答辞を理解できるまで肌身離さず持とうと。そして、いつかそれを理解できるようになりたい。


私が大学のゼミに所属したころ、ふとその答辞を読んでみた。

私は一言一句、一文字一文字を磨き上げるように読んでいった。

読み進めるごとに心のタガが外れていくのを感じた。


答辞の中に喜怒哀楽を織り交ぜ、内にあるものをさらけ出し、読むものに寄り添い、背中を押して激励してくれていたのだ。


高校生の自分に対しても、今の自分に対しても恥じた。

何もかもさらけ出し、溢れる熱意に対して、私は意味も理解できず、自分なりに考えようもせず、ただ薄ら笑いをしていた。


今でも「答辞」の真意はわからない。

それは書いた本人のみぞが知ることであり、それを知ろうとするのはあまりにも傲慢なことだろうと思う。


辞令

今まで使いどころのないものと思っていた、「2歩3歩」という賞状授与の際の動き。

まさか、警察官を退職する辞令を受け取る際にやる羽目になるとは思いもしなかった。


ガキの使いでも学生のアルバイトでもないのに1年で警察官を辞めるなんて愚の骨頂だ。

自分のしたいことがわからなくなり、退職届にサインした。

ほんま、ガキやな。

ずっとその言葉が頭の中をループする。



令和の人生の目的

警察官を辞めて晴れて無職になった。

今まで○○高校の生徒、○○大学の学生、○○府警の巡査という風になんらかの役割、役職があった。

人生で初めてそれを失った。


初めて自分の人生の目的を考えた。

自然とやりたいと無意識、無自覚にしてしまうこと。

自分の幼いころから、中学、高校を経て自分が何をしたいと思ったのか、それはなぜなのか、何が原因なのか。


私はその人が嬉しいと感じる言葉や行動をする。


これを当面の人生の目的にした。

私は一時であれ、目の前にいる人がこいつおもろいやつやな、ええやつやなとその人の中でいい人ランキングで1位になることが生きていると感じることができる瞬間なのだ。



今日、転職活動の結果、内定を頂いた。

本当にありがたいご縁である。

こんなご時世、意味も分からない23歳の小童を採用するなど、企業にとってはリスクでしかない。


第二の社会人生活を始めるが、これからは自分の言葉と責任で生きていくしかない。

だれも私の尻を拭いてもくれない。




だから、胸をはって生きたい。