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何者にもなれなかったので、20年間集めたCDを売り払いました。

「永遠も半ばを過ぎて」とは敬愛する中島らもの本の題名だが、40歳を過ぎた現在の心情とぴったり当てはまる。

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ロックミュージックにハマった高校時代から約20年間、CDを買いまくった。

私が多感な時期を過ごした90年代は、まさにCD全盛時代で、毎年いくつものミリオンヒットが生まれ、アルバムも何百万枚のメガセールスを記録した。

『REVIEW-BEST OF GLAY』

高校時代を振り返るとき、ほとんどの同級生が持っていたGLAYのベストアルバムの暗く深い青色が目の奥に浮かぶ。それは自分の冴えない青春とぴったりきれいに重なる。

1番多かったころは、2000枚はCDを所有していただろうか。それをワンルームの狭い部屋にうず高く積み上げては、たまにやってくる来訪者が驚く顔を見るのがひそかに楽しみだった。

そして今、私はCDを買わなくなった。あんなに集めていたCDも引っ越しを期にほとんど売り払った。
少し前の自分なら信じられないような、思い入れの深い作品だったり、入手困難な作品もガンガン売った。

私に何が起ったか?

この20年間はCDだけでなく、小説や映画や色んな考え方の本をむさぼるように消費していた。
それは「何者かになりたい」という強烈な自意識と連動していたと思う。叶えたこともあったけれど、叶わないことのほうがはるかに多く、結局私は何者にもなれなかった。
そしてプツン、と何かが音を立てて切れてから、私はCDを売り始めた。本当に陳腐な言い方をすれば「青春の終わり」だったと思う。

自分でも滑稽だなと苦笑する。同世代は家庭を築いて子どもの育て方に悩んだり、会社で責任ある立場としてメッセージを発信したり、ある人は愛人との逢瀬を楽しんでいるのに。それなのに、私はまだ学生時代の色んな思い出が心にはりついて、あの日に誰かを傷つけたとか傷つけられたみたいなことを引きずる生き方をしていたんだから!

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永遠(とわ)も半ばを過ぎて――
本当にそんな気分で日々を過ごしている。去年は初めて自分がハゲていることに気づいて慌てた。鼻毛には白髪を見つけた。明るい奴という記憶しかない友人が命を絶った。

それでいて、まだどこか永遠の中を生きているような、ふわふわした気持ちも相変わらず、ある。

ただ、以前のように何者かになるんだ、ならなければいけないんだ、という自己洗脳のような思い込みからは徐々に覚めてきたと感じる。つまんないやつになっただけかもしれないけど。

CDを集め始めた高校時代に、私が猛烈に好きになったのはイギリスのオアシスというロックバンドだった。
当時から死ぬほど聴いた彼らのデビュー曲「Supersonic」は、こんな歌い出しで始まる。

I Need To Be Myself
I Can't Be No One Else
俺は俺でなくちゃならない
他の誰かにはなれないんだから

OASIS 『Supersonic』(1994)

そう、よくある話だけど、最初から答えはすぐそこにあったんだ、と今さらに苦笑する。
誰とも比べることのない、自己否定を跳ね除ける自分に対する肯定感。
これからはそれをゆっくりと手に入れたいと思う。

そのスイッチのひとつとして、20年間集め続けたCDを売り払ったんだと、今ならわかる。

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