伊奈氏屋敷(埼玉県伊奈町)
歴史と立地
いなナビのページによると、伊奈氏屋敷をつくった伊奈氏の本貫地は長野県の伊奈。徳川家康江戸入国の時期に、中世城郭があったこの地に代官頭・伊奈忠次が陣屋を構え、天領の統治に尽力。北条氏の影響が残る時期に、江戸の北の防壁の要として、築かれた陣屋。1618年に赤山陣屋に移るまで支配の中心としての役割を果たす。
伊奈氏屋敷は分岐した川に挟まれた台地の先端に立地。舌状台地というよりも、北西部の台地が狭窄し、孤立しかけている台地だ。狭窄部のあたりは裏門と呼ばれ障子堀も出土したという。カシミールスーパー地形にも、土塁が浮かび上がるぐらい遺構が残っている。
明治迅速測図の時代には、南西部には原市沼が存在。伊奈氏屋敷があった時代には、沼に囲まれた孤立台地の様相だったと想像。戦国時代を感じさせる防御性の高さだ。
伊奈氏屋敷跡には全く下調べなく訪ねたが、地域の方がパンフレットを用意してくださっていて、じっくり味わうことができた。
撮影地点
パンフレットに撮影地点を記す。
城域を歩く
解説板があった表門近くの地点Aが屋敷内へ入ったルート。そばには水堀跡のような水たまりあり。
二の丸跡を地点Bより眺める。二の丸跡からは陶磁器の破片や水晶が出土。二の丸跡の北側にある解説板も設置されたばかり。二の丸跡の南側を回り込むように散策路が設けられていて、道しるべも明瞭。
地点Cでは、迫力ある土塁に囲まれる空堀が出現。立体視画像付き。
地点Cから北へ進んだ地点Dの堀底からの眺め。立体視画像付き。
散策ガイドにも紹介されている土塁を地点Eから眺める。立体視画像付き。
地点Fから眺める深い空堀の折れに萌える。立体視画像付き。このあたりは人家も少ない。
地点Gから眺める深い空堀と郭?。立体視画像付き。
地点Hから眺める低地帯。伊奈氏屋敷があった頃は水堀の役割を果たした湿地帯と想像。現在もさほど変わらぬ風景かも。
地点Hから台地の西端に行ってみると、頭殿権現社。太田道灌ともゆかりがあるようだ。こちらには立派なトイレがあり。
頭殿権現社そばの地点Iにも空堀。立体視画像付き。
裏門と呼ばれる地点Jあたりからは障子堀が出土とのこと。現在は埋め戻されていて、その位置がブロックで表現されている。
伊奈氏屋敷の最寄り駅はゴムタイヤで走る埼玉新都市交通の丸山駅。駅から200mちょっとで裏門跡。ちょうど上越新幹線と東北新幹線の分岐点で、分岐の間に丸山車両基地。伊奈氏屋敷は東北新幹線からも眺められそうな城郭。
埼玉新都市交通の大宮行きが丸山駅を出発するとすぐ、車窓には低地越しの伊奈氏屋敷が眺められる。頭殿権現社がよく見える。手前の低地は明治迅速測図の時代は原市沼。