高須(茨城県龍ケ崎市・取手市):小貝川の河道付替え・三日月湖・道仙田河岸
小貝川は利根川と合流する少し手前で、江戸時代と大正時代に河道付け替えが行われた歴史がある。高須町(茨城県龍ケ崎市)あたりで小貝川が南西に90度近く曲げられたのが1630年。その曲げられた部分が、さらに改修され、スムーズな曲がりになったのが1922年。明治迅速測図では、1922年の河道改修前の姿が見える。 龍ケ崎市 小貝川の治水と洪水の歴史
堤防決壊の歴史と自然災害伝承碑
高須町の一帯は破堤による洪水の常襲地帯。 小貝川堤防の脇に決壊の碑があった。1935年9月に起こった決壊の地である。
高須町(茨城県龍ケ崎市)を眺めた1947年の空撮画像に見える水田の色のむらは、その12年前の決壊の跡ではないだろうか?ちょうど場所が合う。
1935年の決壊の碑から北へ数百m程度のところには1981年の決壊の碑が建つ。
1981洪水について甚大な被害を被った龍ヶ崎市のページがとても詳しく解説。江戸時代に始まった利根川東遷による流路改変が洪水の原因に。小貝川の治水と洪水の歴史
1981洪水による小貝川破堤。国交省空撮写真は利根川から逆流した濁流が破堤場所を越えて流れ出している様子を写す。かなたには満々と水をたたえる田中調節池(千葉県我孫子市)。
1981洪水による小貝川破堤のニュース映像がYoutubeに。これは貴重だ。茨城県だよりNo.114【VoL34・No2】(1981年(昭和56年度)制作)
江戸時代の河道跡を訪ねる
1922年の河道改修前の旧小貝川の流れを訪ねてみる。Google mapには三日月湖という表記されている場所。ちょうど茨城県取手市と龍ヶ崎市の市境になるらしい。
茨城県龍ケ崎市高須町の旧小貝川の流れを遡っていたら神社に出会う。神社の名は高須稲荷。
高須稲荷が鎮座する位置は河道改修前は小貝川の堤外地。1922年の改修後に創建されたか、遷座してきた神社なのだろう。
高須稲荷には古そうな石仏もあるので、1922年以降に石仏とともに遷座してきたと考える方が良いかも。反対に、河道改修に伴って立ち退きが必要だった地域もあっただろう。
道仙田河岸
高須町から旧小貝川の左岸に渡ると道仙田(茨城県龍ケ崎市)。江戸時代には河岸で栄えた地だという。
「鬼怒川 小貝川 : 自然文化歴史」の「小貝川下流域の舟運」によると、現在の長沖新田(茨城県龍ケ崎市)にあった道仙田河岸の繁栄は、東北の雄藩・仙台藩の飛び地・龍ケ崎への物流を担ったことにもあるという。小貝川沿いの他の河岸は鬼怒川の河岸と競合して劣勢だったようだ。
道仙田のバス停付近には公民館の他、厳島神社・八坂神社・稲荷神社。このあたりは河岸の時代も公共的な空間として使われていただろうか。
道仙田河岸があったあたりの旧小貝川。船が行き交っていただろう旧小貝川の水辺。
旧小貝川の河岸があった道仙田から龍ケ崎市中心へと至る道。明治迅速即図に描かれ、恐らく江戸時代も重要な道だったろう。