岡堰(茨城県取手市)
江戸時代につくられた岡堰
取手市のページによると、岡堰は1630年に関東郡代伊奈忠治によって築造。岡堰によって堰き止められた小貝川の水は、相馬二万石と呼ばれる豊かな新田地帯を潤した。
現代の岡堰ができたのは1996年と「ふるさと探訪(取手市教育委員会)」。先代の岡堰は過去の空撮画像で見ることができる。
岡堰の中の島。冠木門のデザインが施されている門をくぐって、橋で渡れるようになっている。この時は渇水期で陸続きだが、水位が上がれば島になる。
中の島には、先代、先々代の岡堰の一部が展示。
中の島には間宮林蔵の像。岡堰近くの箍屋の家に誕生した林蔵。箍とは竹の加工品。竹の扱いに習熟していた林蔵が、決壊した岡堰の復旧作業を行っていた役人に竹の利用を進言。その非凡さに魅せられた役人は家族を説得。林蔵を江戸に連れ帰り、高い教育を与え、後の偉業に繋がったと解説板は語る。
水神岬
岡堰の上流には水神岬。小貝川の水流を弱め、堤防を守るための突堤として築造されたようだ。江戸時代に築造か。今昔マップ・明治迅速測図にはしっかり描かれている。
岡堰と用水
相馬ニ万石の用水探訪のために「稲敷・北相馬の歴史」を参考に用水路を地図に落としてみる。赤色が用水路で、青色が排水路。明治迅速測図で追いきれないところは、現代の道や用水路の配置から想像で補う。小貝川を堰き止めた岡堰から導かれる用水は、取手市域の小貝川右岸の水田を潤す。台地の比高を利用した谷原三万石(つくばみらい市)の用水とちょっと事情が違いそうな地形につくられた用水だ。
小貝川の流れが岡の台地にぶつかり、北東へと曲がる場所に、岡堰から用水への取水口がある。
岡堰から取水された用水は、すぐに二手に分かれて、相馬二万石の水田へと向かう。