【論考】城輪アズサ「シャフトとジャンプの交錯──ゼロ年代批評拡張の試行:1975年→2011年」

Writer:城輪アズサ

本記事はあにもに(@animony)氏によるシャフト批評誌「もにも~ど2」(2024年)所収の城輪アズサ「なぜアニメ『アンデッドアンラック』はシャフト演出を用いたのか?──ジャンプ作品とテン年代表象文化について」の第一章を抜粋し、全面改稿したものとなります。
元になった原稿の執筆に関して、主宰のあにもに氏を始めとする「もにも~ど」関係者には多くの面でご助力いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

 本稿では一九八〇年代および九〇年代からテン年代にかけてのオタクカルチャーの変遷、週刊少年ジャンプ掲載作品の変遷、さらにはシャフトアニメの発展について、時系列順に確認していく。

 なお、ここで本稿のロジックの立て方に関して以下のことをあらかじめ付け加えておきたい。

 元となった原稿において、本稿はゼロ年代オタクカルチャーの文脈をバトル漫画としての『アンデッドアンラック』に接続させる、という論旨をもっていた。その都合上、ピックアップする作品はバトル漫画、とりわけ特殊能力や特殊兵器などを用いて戦う作品が大部分を占めることになる。


1:前史・前提

  前島賢が著書『セカイ系とは何か』(二〇一〇年)において指し示したように、ゼロ年代におけるオタクカルチャーは、九〇年代中盤から後半にかけての文化を色濃く受け継いでいる。そして批評の世界においては広く知られているように、それは『新世紀エヴァンゲリオン』(一九九五年)に端を発したものであった。『エヴァ』が物語の後半において追求した徹底した心理主義──ロボットアニメの表象を後景に追いやる「激しい一人語り」。それに影響されるかたちで誕生した作品群が、その後のゼロ年代における文化の一面を決定づけている。

 そして同書が指摘するように、そうした文化動態と並走するかたちで、オタクカルチャーは「映像から活字へ」とその主戦場を移していく。ライトノベル・ブームの発生である。同書は文芸誌『ファウスト』の創刊(二〇〇三年)に触れながら、それを二〇〇三年から二〇〇四年ごろの出来事として定義する。前島はさらに、そのような状況を背景として、一九九八年に刊行された『ブギーポップは笑わない』を皮切りに進行したファンタジーから現代へ、という流れに連なる、「現代伝綺」とそれに続く「現代学園異能」ジャンルへという流れが形成されたことを確認する。その部分によれば、「現代伝綺」は、前出の『ファウスト』の関係者である奈須きのこの作風によってしるしづけられるという。『月姫』(二〇〇〇年)、『Fate/stay night』(二〇〇四年)──そして奈須からの影響がうかがえる高橋弥七郎『灼眼のシャナ』(二〇〇二年)がある。

 〈いま・ここ〉を物語ること。しかし同時に、その〈いま・ここ〉が異界/非日常の領域へと裂開していくということ。それこそが、この「現代伝綺」および「現代学園異能」の基本構造だった。だからこそ衛宮士郎は「運命と出会う」ことができたのだし、坂井悠二は「日常から五分の距離」で怪物と出会うのだ。

 そうした流れの中で、ゼロ年代のための批評は展開されていった。

 ──ひるがえってゼロ年代の週刊少年ジャンプはと言うと、これはほとんど、その批評・・・・の射程には入っていなかった。文字メディアについての検討が大部分を占めた、という事情もあるのだろう。特別に漫画ジャンルを扱う論考でもない限り、先に挙げたような流れと繋がりを持つものとして、ジャンプの少年漫画を取り扱うものはまずなかった。例外的に宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』(二〇〇八年)は『DEATH NOTE』(二〇〇三年)を取り上げていたが、無論それだけでは、ゼロ年代少年漫画が迎えていたある種の転機や、その特質を言い表すことはできない。

 では少年漫画が他の文化──とりわけ、ここまで述べてきたような文字メディアを基幹とする文化との間に接点を持たないかと言えば、それはまったく不正確である。ゼロ年代のライトノベル文化を、少年漫画からの影響を抜きにして語ることはできない。そして逆もまた然りである。それらは同じゼロ年代という時代に属するものであり、同じ「気分」を受け継いだ作品群であると言うことができる。

 例えばそうした少年漫画から文字メディア──ライトノベル・文芸に対する「影響元」の、最も代表的な例の一つに『ジョジョの奇妙な冒険』(一九八六年)がある。『ジョジョ』への支持を表明する現代伝綺や新本格の作家は多く、このことは『ジョジョ』連載二十五周年を記念して、テン年代において展開された「VS JOJO」コラボ小説企画の参加作家の顔ぶれを見れば一目瞭然だろう(*1)。

*1:参加者は順に上遠野浩平(『ブギーポップ』)、西尾維新(『クビキリサイクル』『化物語』)、舞城王太郎(『好き好き大好き超愛してる。』)。なお、本企画に参加してはいないが、それ以前に乙一(『夏と花火と私の死体』)もスピンオフ小説を発表している。 また『ジョジョ』からの影響で言えば、新房昭之がしばしば用いる、キャラクターに可動域の限界まで首を曲げたポーズをとらせる演出──俗に「シャフ度」と呼ばれる──の参照元もここであると言われている。

 そして『ジョジョ』もまた、第四部「ダイヤモンドは砕けない」において、世界を飛び回る冒険から離れ、〈いま・ここ〉の日本の、ささやかだがそれゆえに致命的な「スタンド」能力者同士の戦いを描き出した。それは現代伝綺のライトノベルが、九〇年代のハイ・ファンタジー的な表象から離れ、匿名的な地方都市へと傾斜していった流れと符号する。

 そして『ジョジョ』が掲載されていた「週刊少年ジャンプ」の作品群もまた、ライトノベルがそうであったような意味での「転向」を迎えることになる。

2:『ドラゴンボール』から『BLAECH』へ──一九七五―二〇〇七

 シャフトが有限会社として設立され(一九七五年)、初のオリジナルアニメを手掛け(一九八七年)、そして自社でテレビアニメを作り始めるようになる(一九九五年)までの一連の時代。ゼロ年代の前史としての八〇年代、九〇年代を代表する少年漫画としては、まず『ドラゴンボール』(一九八四年)が挙げられるだろう。レトロ・フューチャー・ジャンルからの影響を感じさせつつもどこか新奇な未来都市と、中華的な、こう言って差し支えなければエスニックな意匠が交錯する世界観の中で、武術や、それと分かちがたく結びついたある種の仙術(作中では「気」と称される)を用いて戦う武闘家たちの物語として展開された本作は、ジャンルの上では〈いま・ここ〉に根拠を持たないファンタジーであると断じることができる作品であるはずだ。

 週刊少年ジャンプが八〇年代に爆発的に売り上げを伸ばし、九五年に週刊雑誌の売り上げでギネス世界記録を獲得するまでの流れの中で、誌面において、このファンタジーというジャンルは、『ドラゴンボール』を筆頭に確かな存在感を示していた。『北斗の拳』(一九八三年)、『聖闘士星矢』(一九八六年)や『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』(一九八八年)、『ダイの大冒険』(一九八九年)など、それぞれ取り入れているモチーフや物語構造は違うものの、非現実の非現実性、非日常の非日常性を強調するような作品群はこの年代において強い存在感を放っており、当初は〈いま・ここ〉の物語として開始した『幽☆遊☆白書』(一九九〇年)もまた、暗黒武術会をめぐる一連の章で「魔界」を中心とした物語を展開し人気を博した(*2)。なお『幽☆遊☆白書』のテレビアニメ版(一九九二年)には演出として新房昭之も関わっており、特にこの章においては、第三十話「未完の奥義・炎殺黒龍波」の絵コンテと演出を担当していた。

*2:例外的に『地獄先生ぬ~べ~』(一九九三年)は、「学校の怪談」的なジュヴナイル・ホラー・ジャンルの中で〈いま・ここ〉の物語を語り、支持されていた。また『遊☆戯☆王』(一九九六年)も、少なくとも初期においては地方都市を舞台としたボードゲームものとして展開していたが、トレーディングカードゲームに物語の主軸が移行するに従って、非日常の非日常性が強調される作劇へと移行していった(なお、この推移は「トーナメントバトル」(ヒエラルキーある「大きな物語」状の秩序)から「カードバトル」(関係性)へ、というかたちで、ゼロ年代の想像力を表すものとして宇野に見出されたものでもあった)。また「ジャンプ」漫画ではないが、同時期には週刊少年サンデーにおいて『うしおととら』(一九九〇年)が連載されており、非日常的―非場所的なファンタジーではない作品が支持されていたことは押さえておくべきかもしれない。

 話を戻せば、そうした非日常・非現実の強調という傾向は、シャフトが初のテレビアニメ『十二戦支 爆烈エトレンジャー』を手掛けた年でもある一九九五年以降も、継続していくこととなる。一九九七年に連載が開始した『ONE PIECE』は、大航海時代風の意匠とジュール・ヴェルヌ風のレトロなSFの意匠が交錯する世界観の中で、ある種のビルドゥングスロマンを展開し、高い支持を得た。そしてそれと共鳴するかたちで『HUNTER×HUNTER』(一九九八年)や『NARUTO -ナルト-』(一九九九年)もまた、独自の世界観の中でビルドゥングスロマンを展開する作劇で人気を博していた。ここにはジャンル移行的な志向はなく、先に挙げた『ドラゴンボール』を筆頭とする八〇―九〇年代ジャンプの伝統を受け継ぎ、発展させようという方向に舵を切っていると言えるだろう(*3)。

*3:なお時代の流れを分かりやすくするために付け加えておくと、『新世紀エヴァンゲリオン』の放送開始が一九九五年で、ジャンプのギネス獲得年と符号し、劇場版『END OF EVANGELION』放映が一九九七年で、これは『ONE PIECE』連載開始と符号する。なお、学園ライトノベルの祖とも言われる『ブギーポップは笑わない』が刊行された/九〇年代心理主義を和製サイバーパンクの文脈と接続させた『serial experiments lain』のアニメが放送されたのは一九九八年で、その一年後である。

 しかしそうした流れと並行するようにして、週刊少年ジャンプは現代伝綺的な意匠を取り入れていくことになる。

 コミックマーケットにおいてサークルTYPE-MOONが『月姫』(二〇〇〇年)を頒布した翌年、二〇〇一年に連載を開始した『BLEACH』は、空座町と呼ばれる地方都市に「死神」を名乗る異界からの使者が降り立ち、主人公にその力を託すところから始まる。〈いま・ここ〉の日常が裂け、非日常と接続したままで流れていくということ。それは先に述べた現代伝綺の文脈そのものである。そしてそうした〈いま・ここ〉の、地方都市の物語は『灼眼のシャナ』と同年に刊行された第六巻において、「世界の危機」の出現と対峙というかたちで臨界点を迎え、以降、かつて『幽☆遊☆白書』がそうであったように異界へと侵入していき、絶大な人気を得ることになる(*4)。

*4:同年には『クビキリサイクル』も刊行されている。

 しかし物語はそこに留まらない。異界において進行していた「尸魂界篇」が終わると、物語は再び〈いま・ここ〉の地方都市に立ち戻るからだ。丁度、暗黒武術会編を終えた『幽☆遊☆白書』が現実へと帰還し、能力者との戦いを描き出し始めたように。ここには、戦いの敗北がただちに〈いま・ここ〉の消滅をまねく、という図式があった。ここの「敵」の目的は主人公たちが住まう地方都市にある。

 そしてこうした現代伝奇的な意匠は、『ファウスト』の中心的作家であった西尾維新の〈物語〉シリーズにも認められるものである。次節では西尾維新の小説のアニメを手掛けたシャフトのゼロ年代以降の仕事について見ていくとともに、それと並走した少年漫画・ジャンプ漫画の文脈についても俯瞰していく。

3:シャフト・ヘゲモニー──二〇〇九―二〇一一

 『化物語』(二〇〇六年)に始まる〈物語〉シリーズの展開は、現代伝奇や学園異能などといったライトノベル上の(広く支持されてはいたが)一ジャンルを、そのコミュニティ外へと拡散させた。それはまた〈ファウスト〉を中心とした活字メディアの現代伝綺化をまねき、結果として私小説的な──こう言って差し支えなければ〈セカイ系〉的な内面世界を徹底的に描く意匠は後退していくことになる。それはかつて宇野が『ゼロ年代の想像力』の中で提示したような「心理主義から決断主義へ」という図式とも符号するが、ここにおける流れが、その後『ゼロ年代の想像力』が辿るような「ポスト決断主義」へと傾斜していくことはなかったように思う。

 その代わりにそこに立ち現れたのは、こうした決断主義のスタイル化──再生産と拡散であった。

 しばし話を元の流れに戻すと、ジャンプはその後、『トリコ』(二〇〇八年)などの『ドラゴンボール』、『ONE PIECE』、『NARUTO』の流れを汲んだ〈いま・ここ〉性を持たないファンタジーや、『銀魂』(二〇〇四年)などのジャンル超越的なファンタジーを掲載するかたわらで、『家庭教師ヒットマンREBORN!』(二〇〇四年)や『べるぜバブ』(二〇〇九年)などの〈いま・ここ〉の日常とそれを脅かす「外部=敵」を対立軸に据えた作品や、西尾維新による自己参照的・現代伝綺的な作品である『めだかボックス』(二〇〇九年)なども掲載し、そしてテン年代を迎えることになる(*5)。そこでは、『ONE PIECE』や『NARUTO』などの例外を除き、ここまで示してきたような、ファンタジーとのパワーバランスを崩さないかたちで、現代伝綺が存立していた。

*5:同時期(ゼロ年代後半)にかけては『BLEACH』もまた、現代伝綺的な物語構造をもつ「死神代行消失篇」を連載していた。

 そしてシャフトのテレビアニメもまた、現代伝綺を──ゼロ年代的な意匠を存立させ、流通させることになる。その代表的な一つが『化物語』のアニメ化(二〇〇九年)に始まる〈物語〉シリーズのメディアミックスである。

 このメディアミックスは、ゼロ年代に花開いた文化としての現代伝綺的意匠をメタ的に、スタイル化して再生産した。これはポスト印象主義の絵画がそうであったような、記号的・幾何学的な空間設計の中で、肉感的なリアリズムを追求するところから始まり、新房昭之を筆頭に尾石達也や板村智幸、今村亮や紺野大樹、劇団イヌカレーやウエダハジメなどのクリエイターたちの「チャレンジブル」(*6)な表現の横溢する独自の、表現の箱庭として完成した。

*6:『ユリイカ2011年11月臨時増刊号 総特集=魔法少女まどか☆マギカ』「この世界に希望がある理由」内、田中ロミオとの対談における虚淵玄の発言から。

 そうした諸々の表現についてはシャフト批評誌『もにも~ど』に詳しいが、そうした〈物語〉シリーズフランチャイズにおける表現たちは一見原作から遊離している(≒行間を読んでいる)ようで、その実、原作の原作たるゆえんを浮き彫りにし、補強している側面がある。

 作品というものはそれが書かれた時代──ここではゼロ年代中盤──と分かちがたく結びつく。「原作」としての〈物語〉シリーズは、作者である「西尾維新」という固有名とともに、ゼロ年代批評の、同時代性の文脈においてしばしば取り扱われた。例えば福嶋亮大は『神話が考える』(二〇一〇年)の中で、西尾維新の文体に着目し、その「外連味の強さ」、有意味性を無意味性へと変じさせる「ノンセンス」な性質の中に、情報のネットワークにどこまでも覆われたゼロ年代の世界観そのものを、吸着し解体する潜在力を見出す。それは(ゼロ年代のタームとしての)「ポストモダン」状況、無軌道に記号と記号が接続され、その都度全体的な意味が更新されていく(≒リゾーム)ようなデータベース参照のありかた──「情報処理の方程式(アルゴリズム)」としての現代の「神話」──に対応しつつ、その公的な性質を私的なアイロニーの領域へと「化かす」力であるという。

 そしてこの「化かし」のダイナミズムは、アニメ版『化物語』にもあらわれている。学習塾跡をはじめとする数々の脱場所的な空間のデザインは、徹底して「私」的であった。それは「公」的な、共有されうるイメージを提示してはいない。福嶋が分析した、原作の文体から想起させられる、戯画化され純化された心象風景のごときもの──断片化されたイメージの殿堂のごとき画面が、そこにはある。そしてそれは、ゼロ年代という固有の時間から遊離しているという点において、原作がもつ、批評のまなざしにおいて見出されていたような「根拠」を喪失している(*7)。

*7:無論、小森健太朗『探偵小説の論理学』(二〇〇七年)や、アマチュアでは車辻子(つじこの)『西尾維新論のために』(二〇一二年)やなどの論考が、ライプニッツを引きながら、その作品世界(文体も含む)を広い射程において再定義したことに象徴されるように、西尾維新は同時代性によってのみしるしづけられる作家ではない。しかし少なくとも、ゼロ年代において西尾維新とは、舞城王太郎がそうであったように、同時代文化を象徴する作家として取り扱われていたはずだ。

 かくしてゼロ年代はスタイル化され、ノスタルジーとは別の次元で、〈いま・ここ〉でありながら(=商品として存在していながら)同時に〈いま・ここ〉ではない(=〈いま・ここ〉に根拠を持たない)異質な作品として、アンビバレントに受容されることになる。

 こうしたスタイル化のダイナミズムに貫かれた代表的な作品としてもう一つ『魔法少女まどか☆マギカ』(二〇一一年)を挙げることができるだろう。

 「魔法少女もの」として──「人が死ぬ『(魔法少女リリカル)なのは』」(*8)として企画された本作は、新房昭之、虚淵玄、蒼樹うめ、そしてシャフトから成る共同筆名である「Magica Quartet」を原作として、他に梶浦由紀(音楽)や劇団イヌカレー(異空間設計、原画)などの気鋭のスタッフたちが中心となって制作され、大きな反響を呼んだ。

*8:『ユリイカ2011年11月臨時増刊号 総特集=魔法少女まどか☆マギカ』「この世界に希望がある理由」

 この「反響」はまた、ネット空間──とりわけ、東日本大震災の前後で大きく普及したTwitterにおけるものであり、その点において「リアルタイム的」なものであったとの指摘もある(*9)。ライターのばるぼらはそうした反響・評価・ムーブメントのかたちの前例として『ひぐらしのなく頃に』(二〇〇二年)を挙げており(*10)、また、フランス文化・視覚文化の研究者である中田健太郎は対談の中で、『まどマギ』のアニメ表現が置かれている文脈に言及している。曰く、そこに表れた表現は『魔法少女リリカルなのは』(二〇〇四年)『ひだまりスケッチ』(二〇〇七年)から累積されてきたシャフト的/新房昭之的な表現の総決算であるという(*11)。

*9:同特集内、さやわか×ばるぼら「オタク/サブカルの終わりと一〇年代」
*10:同上
*11:同特集内、中田健太郎×長岡司英「螺旋の理に導かれて」

 ここで注目すべきは、そこで持ち出されている作品の多くが、ゼロ年代のものであるという点である。無論、創作とは直近の表現を参照することで成り立っている側面があるため、分析がそうしたプロセスの解明へと傾くことは自然で、また的確でもあるのだろうが、しかし、ここで注目したいのはそうした的確さではなく、その批評のテクスト自体がもつ効果・価値である。ゼロ年代の作品を中心的に取り上げて成立した、ここにおける批評体系がもつ効果。それは『まどマギ』を、一九世紀末から連綿と続く映像文化の一結節点としてではなく、ゼロ年代の延長線上にある作品として配置する効果である。

 実際、『まどマギ』はここまで取り上げてきた現代伝綺をはじめとするゼロ年代文化との間に強い相関を持っている。シリーズ構成および脚本を手掛けた虚淵玄が、ゼロ年代にかけて展開された平成仮面ライダーシリーズ(とりわけバトルロイヤル的な要素をもつ『龍騎』)から影響を受け、それと相関する『Fate/stay night』に端を発したTYPE-MOONの仕事に関わっているということもあるのだろう。『まどマギ』の物語は〈いま・ここ〉の日常と、その裂け目から顔を覗かせ、また日常を侵襲しもする非日常の原理の二重性という現代伝綺の構造に貫かれている。そしてまた、その二重性が巴マミの死によってラディカルに解体された後に展開されたバトルロイヤル的構図は、宇野が指摘したようなゼロ年代に特有の形式であり、その構図がもたらす闘争の帰結として訪れるシビアな現実まで含めて、ある時代のスタイルと分かちがたく結びついていると言えるのではないか。

 ここにおいて、新房昭之は自らの作品の累積によって、虚淵玄はその作家性によって、それぞれゼロ年代をスタイル化していた。そのようにしてテン年代のシャフトアニメは始まり、そして広く受容されていくことになる。

追記

 私的なものとしてのサブカルチャー史。歴史も伝統ももたないはずのジャンクなコンテンツを連鎖させるところに立ち現れてくる文化史の輪郭は、私的なものでしかありえない。しかしその性格こそが、論文でも評論でもない、批評としての強度を獲得しうる……というようないささか青臭いことを考えながら書いた論考だったことを、読み返してみて改めて思い出しました。無論、その青臭さは中学の終わりにはじめて『セカイ系とは何か』を読んでからずっと抱き続けているもので、それを捨て去ったうえでコンテンツ批評を書くことはできないはずのものではあります。

 2024年から同人誌への寄稿を始めた中で、たしかこれが一番初めに書いた論考だったと記憶しています。拙いところも多々ありますが、一番精細に自分の関心や個人的な思い入れが出ている文章であるように感じるものです。

いいなと思ったら応援しよう!