第6話のキーパーソン多すぎ
2022年2月13日(日)大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第6話「悪い知らせ」が放送されました。
石橋山の戦いに敗れた源頼朝(演:大泉洋)と頼朝に味方した東国武士の多くが逃げ惑い、安房(千葉県南房総市および館山市付近)に集結し、再起に向けて動き出すまでの流れが描かれました。
その過程で相模国では、三浦氏と畠山氏が一触即発の状態となっていました。
しかし、畠山重忠(演:中川大志)の大人の対応で戦争回避となりかけたのを、和田義盛の余計なお世話(勘違いの騙し討ち)のせいで、ガチンコの戦争状態に突入します。
その結果、畠山義忠は大庭景親(演:國村隼)の命を受けて三浦氏の居城・衣笠城(神奈川県横須賀市衣笠町)を攻撃しました。
衣笠城は落城。三浦義澄(演:佐藤B作)の父にして三浦義村(演:山本耕史)の祖父にあたる、三浦義明は討死してしまいます。
にもかかわらず、義盛は
とブチ切れてますが。。。
全部アンタのせいだよね?
と思った視聴者は少なくないと思います。
そして義盛があれだけブチ切れる理由もたぶん視聴者の皆さんにはわからないと思うので、少し解説しておこうと思います。
和田義盛は三浦氏の嫡流
和田義盛の父は杉本義宗という人になります。
杉本義宗は、前述の衣笠城と共に討死した三浦義明の嫡男になります。
すなわち、和田義盛は三浦氏の嫡流(本家筋)にあたります。
ではなぜ三浦氏とは別家(和田氏)を興しているのか、それは義盛の父・杉本義宗が若くして戦場で討死したことにあります。
父が義宗が戦死した際、嫡男であった義盛はまだ20歳でした。そして義宗には37歳になる弟・義澄がいました。
三浦氏の棟梁として張るには20歳の義盛には荷が重すぎたのか。家督は義宗の弟・義澄が継ぐことになります。ここから三浦氏の家督の流れは義澄の血統になり、義盛は別家・和田氏を興すことになるのです。
義盛は家督を逃したとはいえ、三浦氏の嫡流の血統であることは間違いなく、この後、鎌倉幕府が成立した後も、その家格の高さは三浦氏を凌いでいたと言われます(それが原因で北条氏から目をつけられるわけですが)
つまり、衣笠城で討死した三浦義明は義盛にとっても祖父にあたるわけですね。義盛が悔しがるのもよくわかりますね。
ちなみに和田義盛は劇中こう言っています。
これは平家物語からの出典のようです。
そして、この通り、頼朝の東国政権で頼朝の家来(御家人)を統括し治安維持を司る役所・侍所が成立すると、和田義盛はその初代長官(別当)になります。
源氏が抱える複雑なお家事情
甲斐源氏・武田信義
今回のお話(第6話)は重要なキーパーソンがいっぱいでてきましたが、その中の1人が甲斐源氏の棟梁・武田信義です。
武田の助力を乞いに行った北条時政(演:中村彌十郎)、義時(演:小栗旬)に対し、信義はこう言います。
信義が源氏の棟梁に拘っているのは、源氏が抱える複雑なお家事情が絡んでいました。
甲斐源氏のコンプレックス
河内源氏の棟梁の血統は初代・源頼信から始まり、頼義、義家(八幡太郎)と続きます。
その間、源氏は頼義の代で奥州での前九年の役(安倍氏の謀反)、義家の代で後三年の役(清原氏の内部抗争)を鎮圧し、源氏の名声は世間に広まっていました。
その義家の家督を継いだのが義家三男・源義忠という人でした。
しかし、この義忠の兄に源義親という人がいて、これが手に負えない暴れん坊だったんです。
義親がなにをやらかしたかというと、対馬守在任中に任地で殺人事件を起こして流罪となり、さらに刑地に赴く途中、出雲で脱走してさらなる殺人事件と窃盗を起こしたため、白河法皇の命令で伊勢平氏の平正盛(清盛祖父)に討たれます。
ここから伊勢平氏が院や朝廷や摂関家に重んじられ、河内源氏の名声は下がっていきます。これに危機感を抱いた義忠は、平正盛の娘を妻にし、伊勢平氏との融和に務めました。
この義忠の態度に不満を持っていたのが、義忠の叔父(つまり義家の弟)にあたる源義光という人です。
義光は陰謀を巡らして、義忠を暗殺してしまいます。
さらにこの義忠暗殺を、自分の兄である源義綱(義家次男)とその子・義明に疑いがかかるように工作を行ったのです。
当時の治天の君である白河法皇は、平正盛に討たれた源義親の子・為義(頼朝の祖父)に義綱・義明の追討を命じました。そして義光も
「為義、俺も加勢するぜ。可愛い甥を殺された恨み、この手で晴らしてやる」
と為義と協力し、見事、義綱の勢力を滅ぼします。
しかし、やがて真犯人が義光であることがバレ、義光は常陸国に逃亡しました。
この義光の三男・源義清が、父親より常陸国那珂郡武田郷(茨城県ひたちなか市武田付近)の土地を譲られ、武田氏を名乗ります。
義清の子・清光の代に、叔父にあたる佐竹義業(義清の兄)と揉め事を起こし、朝廷の裁きによって、甲斐国八代郡市河荘(山梨県西八代郡市川三郷町付近)に流され、以後、甲斐国に土着します。これが甲斐源氏の発祥です。
武田信義はその清光の子にあたります。
つまり信義の血統は、河内源氏の棟梁を暗殺した犯罪者の血統なわけです。それゆえ、嫡流に対するコンプレックスがあったのではないかと思えてなりません。
また、頼朝は第5回で武田信義を「あんなやつ」と憎々しく思っていますが、それはおそらく、信義が保元の乱も平治の乱も父・義朝には一切力を貸していないからではないかと思われます。
それゆえ、甲斐源氏武田氏は甲斐国で勢力を温存させ、安田氏、加賀美氏、逸見氏などの庶流を興して一族の力を成長させていました。当時の甲斐源氏は東国武士の寄せ集めである頼朝の軍団とは比べものにならない軍事力を持っていたはずです。
源氏の三代巨頭
この頃の源氏の勢力は源頼朝、武田信義、木曾義仲の3つが存在し、それぞれ独立して行動していました。
その中でも武田信義が持っていた軍事力は義仲や頼朝とは別格だったようです。
現に、頼朝が敗退した石橋山の戦いの後、大庭景親は武田信義の勢力が相模に向かっていることをキャッチしていて、弟の俣野景久に軍勢を与えて派遣しています。
ただし、景久は富士山麓付近で甲斐源氏庶流の安田義定の軍勢と衝突し、敗北しています。
この後、信義は一旦信濃国伊那(長野県伊那市)に軍勢を向け、平家方の勢力を蹴散らした後、再び駿河に攻め込んで、頼朝が軍勢を整えて富士川に着陣した際は、駿河を独力で実効支配していました。
頼朝が河内源氏嫡流の座を維持するためには、どうしても甲斐源氏が目の上にタンコブになっていたと考えるのが妥当です。そのため、頼朝はあらゆる手段を使って、甲斐源氏の勢力を削減し、平の御家人にまで貶めていきます。
房総平氏の棟梁・上総広常
第6話に出ていたキーパーソンの最後は、上総広常(かずさのひろつね)です。
安房に逃げた頼朝が再起を果たすのに重大な役割を果たしたのが、この上総広常と遠祖を同じくする千葉常胤(ちばのつねたね)です。
上総氏、千葉氏を説明するには、非常に難しいのですが、ごくごく簡単に説明します。
以前のエントリー(貴き血筋であっても力なければ無力)でも少し触れたことがありますが、坂東の武士の多くは桓武平氏(高望王の子・平良文)を祖先に持っています。そしてその良文の子の血統から以下の氏族が生まれています。
この忠頼流の中に千葉氏と上総氏の名前がでてきます。
平忠頼の子に平忠常という人がいました。父より、下総、上総、常陸の三国より広大な領地を相続し、その権勢に溺れ、最終的に「平忠常の乱」という反乱を起こし、源頼信(河内源氏初代棟梁/頼朝や信義の遠い祖先)によって鎮圧されています。
忠常はタイホされて都に護送中病没しますが、その子供たちは罪なしとして坂東(東国)に戻されました。これが房総平氏の始まりです。
その平忠常の孫に平常長という人がいまして、この人は、奥州で起きた「前九年の役」「後三年の役」の朝廷軍に従軍し、戦功をあげて上総国に所領を得たと言われます。
この常長の次男・常兼が千葉氏の祖。五男・常晴が上総氏の祖です。
その後、領土をめぐる争い、家督をめぐる争いに、東国でブイブイ言わせていた源義朝が介入し、ドンドンドロドロの内部抗争が起きるのですが、ドラマの頃には房総平氏は3つの勢力に分かれていました。
それが頼朝の再起の過程で、キレイに整理されていきます。
そして房総平氏が頼朝に味方することで、遠祖を同じとする坂東平氏の勢力が次々と頼朝に靡くのです。
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