第44回 SIDE-B「禔子内親王って誰?・藤原公季から始まる閑院流の繁栄」/「光る君へのミラーワールド」

第44回 SIDE-B「禔子内親王って誰?・藤原公季から始まる閑院流の繁栄」/「光る君へのミラーワールド」

さんたま(日本史学専攻卒業)/ゆうこ(高等学校国語教員免許保持者)
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NHK大河ドラマ「光る君へ」第43回「望月の夜」
感想ラジオSIDE-B(歴史編)

今回は、

・禔子(やすこ)内親王って誰?
・ようやくちゃんとしたセリフがもらえた公季くん
・日本の院政時代を作った公季くんの血統(閑院流)

について語っております。

【人名紹介】
禔子内親王(しし / ただこ やすこ ないしんのう 1003-1048)
三条天皇の第二皇女
父の意向で13歳で藤原頼通に嫁されそうになるが、破談になる。
三条天皇崩御後、頼通の弟である藤原教通の継室となった。

藤原公季(ふじわら の きんすえ 956-1029)
藤原師輔の十一男。道長の叔父
閑院流の祖

藤原公成(ふじわら の きんなり 999-1043)
閑院流三代目当主。
娘・茂子を尊仁親王(後の後三条天皇)に嫁がせ、貞仁親王(後の白河天皇)の外祖父となる。

藤原実季(ふじわら の さねすえ 1035-1092)
閑院流四代目当主。
娘・苡子を堀河天皇に嫁がせ、宗仁親王(後の鳥羽天皇)の外祖父となる。

藤原公実(ふじわら の きんざね)
閑院流五代目当主
娘・璋子を鳥羽天皇に嫁がせ、顕仁親王(のちの崇徳天皇)、雅仁親王(のちの後白河天皇)の外祖父となる。

鳥羽天皇として即位した時、公実は「自らこそ摂政に就任すべし」と主張したが、「五代もの間、並の公卿として仕えた者が今摂関を望むとは」と白河院別当の源俊明に一蹴されたという。

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