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北条時房、通称「トキューサ」を受諾する(謎)

2022年11月13日、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第43話「資格と死角」が放送されました。

第42話の終わりに実朝(演:柿澤勇人)が口にした将軍後継問題の行方と、トキューサ(北条時房/演:瀬戸康史)の京都デビュー、そしてすでにいない者のように扱われている公暁(演:寛一郎)と、暗躍する三浦義村(演:山本耕史)が絡み合って、どう転んでもタダではすまない、視聴者に安穏はないみたいな回になっています。

それでは振り返りいきます。

公暁は何のために戻ってきたのか

公暁は1213年(建暦元年)9月16日に鎌倉を発って京に上り、園城寺の公胤阿闍梨の門弟となっています。

阿闍梨はその3年後の1216年に亡くなっていますが、公暁はその後も修行を続けました。しかし、同年11月、鶴岡八幡宮別当・定暁が死去したことから、政子(演:小池栄子)の願いにより公暁を別当の職に就けるべく、1217年(建保五年)6月20日、鎌倉に呼び戻されました。

なので、公暁が戻ってきたのは、鎌倉殿を継ぐためでも、三浦義村の策略でもなく、純粋に政子の願いによって鶴岡八幡宮の別当職に補されたと見るのが正しいと思います。

あの稚児は何者

同年10月11日、公暁は鶴岡八幡宮別当として初めて神に参拝しました。そして願をかけて千日籠に入ったと言われます。

語り(演:長澤まさみ)はこの千日籠を「出入りできるのは世話役の稚児のみ」と言いました。
この稚児は三浦義村の四男で駒若丸と言います。

駒若丸(演:込江大牙)
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NHKの登場人物にも記載はありますが、彼は元服後、三浦光村となり、宝治合戦のトリガーとなる存在となって、三浦氏を族滅させます。
あー、こわいこわい。

よくわからない官位の推移

1216年(建保四年)1月、北条義時(演;小栗旬)は従四位下に昇叙されました。
その翌年1217年(建保五年)1月、相模守より右京権大夫に遷任となり、さらに同年12月、右京権大夫に加えて陸奥守を兼任となっています。

しかもこの陸奥守はもともと大江広元(演:栗原英雄)が補任されていたものでした。
吾妻鏡にはこうあります。

1217年(建保五年)11月8日 大江広元が眼病にかかった。瞼とその上の腫れ物が合わさってしまった。

11月9日、北条義時が大江広元を見舞う。

11月10日、大江広元が危篤。出家。法名「覚阿」

11月17日、大江広元が出家したため、空席となった陸奥守に北条義時を補任するよう朝廷に奏請。

『吾妻鏡』

広元が出家して陸奥守を辞任するのは道理ですが、その空席を義時(東国武士)で埋めなければならない理屈はないはずです。

どういうことなんでしょうかね。

ちなみに広元の眼病は12月10日には回復しているようですが、目ははっきり見えるまでは回復できなかったようです。そして12月24日、義時が陸奥守に補任されています。

またそれと前後して12月12日には、トキューサが武蔵守から相模守に遷任されました。

政子の熊野詣計画とトキューサの活躍

1218年(建保六年)1月15日、政所で政子の熊野詣に関する協議が行われました。『吾妻鏡』ではトキューサが政子のお供をすることに確定したことのみを伝えていますが、女人の熊野詣に関する協議が政所で行われること自体が異例だと坂井孝一先生(『鎌倉殿の13人』時代考証担当)はおっしゃられています。

坂井先生は慈円(演:山寺宏一)の書いた『愚管抄』において、卿二位藤原兼子(演:シルビア・グラブ)が、実朝御台所の姉である坊門信清の娘が産んだ頼仁親王を養育していること。そして皇位か将軍職につけたいという願いがあったと記述されていることから、政子の熊野詣の真の目的は、後継将軍に関する朝幕交渉だったと述べられています(坂井孝一著『承久の乱』(中公新書)P94)。

また同年2月4日の『吾妻鏡』には、政子の出発の模様が記述されていますが、トキューサだけでなく、故・稲毛入道重成の孫娘を同道させていることが触れられています。土御門道行に嫁がせる目的だそうですが、これは京に足を伸ばす口実でしょうね(実際、稲毛の孫娘は道行に嫁いでますが)。

政子は4月29日に鎌倉に戻ってきました。『愚管抄』によればこの時、卿二位藤原兼子と会談を及んでおり、実朝が子をなさない場合、院の宮(後鳥羽上皇の子)を鎌倉に下さらせて将軍にすることもないわけではないみたいなことが記録されています。

ドラマ上の藤原兼子と政子のやりとりはこれが話のベースになっていますね。

4月14日には政子は従三位に叙せられました。
ただし、この叙位は相当揉めたと言われます。しかし、僧侶の身分で叙任を受けたのは弓削道鏡(皇位簒奪を企てた宇佐八幡信託事件の張本人)以外にはありません。しかし女人が官位を頂いた例としては平時子(清盛正室)があり、さらに出家後に准三后の位に叙せられた例は藤原忠実の母(全子?)があるということで、この例に倣って処置されたと『吾妻鏡』は述べています。

この時実朝の位階は正二位です。義時の位階は従四位下です。
鎌倉殿である実朝と執権である義時の間、従三位とはそういう絶妙な位置にあり、将軍権力の後見役である尼御台にはふさわしいものであったと思います。

4月15日、政子は後鳥羽上皇との対面の機会を与えられましたが「辺鄙な場所の尼僧の顔をお見せしたところで上皇様にとってメリットはない」とそれを断っています。

なお、政子の鎌倉帰還は政子一人だけで、トキューサの帰還は翌月5月4日になっています。帰還が遅れたのは上皇の蹴鞠に参加するためとされていました。

翌5月5日、実朝はトキューサを御所に呼んで、報告を求めました。
その際、トキューサは蹴鞠のことを実朝に話しています。

先月の8日に行われた梅宮祭りの際に、上皇様が私の蹴鞠の腕前が見たいと内々の申し入れがあり、梅宮大社に行きました。
そこには私の蹴鞠を見るために、右大将様(久我通光/源通親<演:関智一>の子)が正装の出立で待っていました。

そこで14日に初めて朝廷の蹴鞠場にいきました。
上皇様は御簾を上げられて、私たちの蹴鞠をご覧になりました。15日も16日もご覧になられました。

上皇様は「蹴鞠の真髄をよくわかっている」と何度も感心されたそうです。
院に出入りする作法についてはよくしらなかったのですが、尾張中将(左近衛中将・坊門清親/坊門信清の甥)がお教えくださいました。この御恩は忘れるわけにはいきませんでした。

『吾妻鏡』建保六年五月五日

これが、ドラマで描かれた後鳥羽上皇とトキューサの出会いのベースになった話だと思います。

今回ドラマの中で後鳥羽上皇は時房のことを「トキューサ」と呼びました。

後鳥羽「『トキューサ』と申したな」

時房「トキューサでございます!」

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第43話「資格と死角」25:16

この段階で「トキューサ」は時房の公式の愛称として認定されました。
なにせ時の上皇がそうおっしゃるのですから(笑)

実朝左近衛大将任官

ドラマでは、実朝の後継者が頼仁親王(母が坊門信清の娘/実朝御台所の姉)に決まり、実朝は親王の後見役として左大将(左近衛大将)に任ぜられました。

左大将の官職は実朝が心底願っていた官職です。
それは1218年(建保六年)2月10日に大江広元に命じて京に使いを出していること、さらに2月12日に波多野朝定に命じて必ず左大将に任ぜられるように取り計らうように命じていることから明らかです。

ちなみ実朝は同年1月13日、権大納言に任官しております。
父・頼朝はこの権大納言に任官後15日で右近衛大将(右大将)に任官されています。そして頼朝はこの官位が河内源氏としては極官でした。

実朝が左近衛大将の官職を望んだのは、父・頼朝を超えたいという願いの発露だったのかもしれません。

同年3月6日、実朝は望み通り、左大将(左馬寮御監兼任)に任ぜられました。この任官についてはドラマで描かれた頼仁親王の後継将軍の話は無関係だと思います。

また同年6月27日、実朝は鶴岡八幡宮で左大将任官の御礼を申し上げるため、儀式を執り行っています。殿上人10名、30名以上の御家人が行列に連なったようです。

泰時、讃岐守任官の話

一方で1218年(建保六年)1月17日、実朝は、京都守護である中原季時(中原親能<演:川島潤哉>の子)に対し、讃岐権守に推薦したいものがあるから、はやく朝廷に奏上しろと命令を出しています。

これが、ドラマで描かれた実朝による泰時(演:坂口健太郎)の任官願いです。
ドラマでは全く描かれていないので、この時点の泰時が無位無官のように見えますが、泰時は1211年(建暦元年)に修理亮に任官しています。1216年(建保四年)には式部丞に遷任して従五位下に叙されています。

この実朝の奏請は、2月12日に後鳥羽上皇の耳に入り、実朝に推薦すべき人間が誰なのかを伝えろと命が下されました。しかし3月24日、泰時はこの任官を辞退しています。

義時、泰時に思いを語る

今回のドラマでは、これまで何を考えているのかよくわからなかった黒義時の心情が泰時に語られました。初めてのことではないでしょうか?

泰時、朝時(演:西本たける)初(演;福地桃子)の3人が夕食をとっている時に、義時が現れ、
「太郎と話がある、外してくれ」
朝時と初を退がらせます。

義時は泰時に向かってこういいます。

義時「単刀直入に言う。讃岐守のこと、断ってもらいたい」

泰時「……理由(わけ)を伺ってもいいですか?」

義時「お前は私をよく思ってはおらぬ」

泰時「……お待ちください」

義時「わかっている……しかし、私はお前を認めている。いずれお前は執権になる。お前なら、私が目指していてなれなかった者になれる。その時、必ずあの男が立ちはだかる」

泰時「……」

義時「源仲章の好きにさせてはならぬ……だから今から気をつけよ。借りを作るな……」

泰時「……ご安心ください。私も讃岐守は御辞退しようと思っていたところです」

義時「……」

泰時「……気が……合いましたね」

義時「…….帰る」

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第43話「資格と死角」30:52

用件が済んだ義時は安堵したのか、その場から立ち去ろうとします。
そこに泰時が畳み掛けます。

泰時「父上が……目指してなれなかった者とはなんですか?」

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第43話「資格と死角」32:44

それに義時が答えることはありませんでした。
ただ、義時が泰時本人に対して「お前を認めている」と言ったのは初めてだと思います。ただ「私が目指していてなれなかった者になれる」というのは義時の希望で、それに近しいことは過去に言っていたような気がします。

義時をそこまで言わせた理由が源仲章(演:生田斗真)の暗躍にあるのならば、それだけ仲章の存在が幕府内で大きくなることへの危機感の現れなのだと思います。

三浦義村の暗躍

今回は三浦義村のブラックな部分が垣間見えた回でもありました。
義村は鎌倉殿の後継者として公暁を立てることで、三浦が北条を越える勢力になることを目論んでいるようです。

しかし、親王が後継将軍になることが既定路線となり、義時もそれを認めるとなると義村は梯子を外された状態になります。それは義村の野望が終わることを意味します。

これが義時と義村による公暁焚き付けプランであれば、まだ理解するのですが、今回ばかりは義村も義時とガチンコで挑む気なのかかな?と思ってしまう節がいろいろあります。

まさに見逃せない状況になってまいりました。





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