もし、人生が残り一年だったら
もし、人生が残り一年だったら、何をしますか?この問いをまさに現実のものとして考えている方もいらっしゃるかもしれません。今のところ私にとってはあくまで仮定として考えてみたという話です。
今、私は博士号を取ろうと必死でもがいています。余命一年だったら、この目標を投げ出すのでしょうか。
博士号はゴールじゃない
大学に入るのがゴールじゃないとしばしば言われますが、博士号取得も同じです。私の分野では研究職に残るための免許証くらいの価値しかありません。大卒の学歴は給料に反映されますが、博士号はむしろマイナス評価というのが日本社会です。博士号という高級腕時計に惚れ惚れできるタイプの人は博士号がゴールでも幸せでしょう。しかし多くの人は研究を続けたくて博士号をとり、研究が続けられるのなら多少収入が少なくても我慢するのだと思われます。
人生が残り一年で博士号を取った頃に人生が終わる場合、私は博士号をとりに行くのだろうか?この場合、博士号を取っても研究は続けられないのだから、高級腕時計を愛でる趣味のない私には価値のないものに思えます。
しばし考えたのですが、やはり取りに行くのではないかと思います。もちろん、実際に余命宣告をされたわけではないので想像でしかないことを指摘しておきます。
ゴールがあると続けやすい
博士号を取るためには研究成果を認めてもらう、つまり研究を続ける必要があります。研究を続けられるということでもあります。
研究に限らず何かゴールがあった方が続けやすい。博士号は一息つくための中間チェックポイントなのです。今続けている研究を、中途半端なところで投げ出すよりも一定の着地点まで持っていきたい。
幸運という必要条件
研究はとにかく辛いです。今まで大変な経験は色々してきましたが、最も辛いことと言ってよさそうです。最大の要因は、成果らしきものを上げることが基本的に困難で、余程の運が必要という点ではないかと考えています。
実は私は幸運な部類です。なぜなら実験データはすでに取れていて、今この瞬間もデータの蓄積を続けられているからです。実験装置の稼働がうまく行かずにデータさえ取れず、博士号の取得がずるずる遅延してしまう人も沢山いる中で、非常に幸運なことなのです。
人生残り一年と思って
浅薄な説教を自分自身にしているようにも思えますが、人生残り一年と思って頑張ってみようという気になってきました。この苦労の先に何が見えるでしょうか。
今進めている作業から得られる知見にこそ価値があるので、「博士号、取ってみたけど無駄だった」といことが絶対にないというのも心強いです。
さて、今日もデータと向き合います。
ここまで読んでくださりありがとうございます。それではまた。
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