理解と言語化
数学は暗記科目か
「これは予備校や塾の講師がしばしば口にするトピックです。多くの数学の先生は「数学を暗記科目として勉強するとすぐに限界がくる。論理的に考えられるように、解法を暗記するのはやめましょう。」と言います。
私は受験生の時、この考え方の信奉者でした。今でもそうかもしれません。「自分は論理的思考に基づいて、深く理解しているんだっ」と自負していました。実際、色々な公式を丸暗記するのは大変なので、導出方法を覚えるようにしていました。
自分が教える立場になって
以前、塾講師のアルバイトをしていました。「公式を丸暗記するのではなく、導出方法を覚えるといいよ。」という教え方は比較的好評でした。導出のストーリーを覚える方が、数式の丸暗記よりは記憶に残りやすい人が多いのでしょう。しかし、どちらにせよ「覚える」ことに変わりありません。ここで「数学は暗記じゃない」という私の信念が揺らぎ始めます。
さらに、生徒に「何故そのような解法が思いつくのか」と質問されたとき、「知っているから」としか答えようがありませんでした。知っている解法を組み合わせて問題を解くので誠実で正直な回答です。しかしこれでは数学は暗記科目になってしまいそうです。
「理解した」と思っていたことは実は覚えていただけだった。
当たり前といえば当たり前です。知識がなければ問題は解けません。暗記科目の代表格である英語や化学(特に無機分野)でも、単語や化学反応を知った上で、その先を問われるわけです。
この記事を書こうと思ったきっかけは次のようなものでした。現在、私は物理学専攻の博士論文を書こうとしています。世間的には数学・物理が得意で大学入試問題なんてお手のものだろうと思われるのかもしれません。しかし実際には今通っている大学の入試を受けたら落ちると思います。一方で現在の専門分野のことはさぞ詳しいのかと問われると、知らないことだらけです。私は入試で問われるような初歩的なことはすっかり忘れ、専門分野のことはそこまで詳しくない、中途半端な人間になってしまったのです。
思い出し方を忘れなければそれで良いのだが
試験でない限り覚えているかどうかはどうでも良いことです。よく使う事柄は自然と覚えてしまうし、滅多に使わないことを覚えていてもしようがありません。その意味でネット検索でターゲットの情報に迅速に到達するスキルはかなり重要となります。
それでも研究業界で物知りであることが重要視されるのは、それだけ専門分野に触れている時間が長いことを示す一つの指標になるからではないかと思っています。どんなにやる気に溢れた若き研究者を装っても、研究に費やす労力は嘘をつきません。「好きこそものの上手なれ」を端的に表すのがどれくらいその分野に詳しいかであると。
理解したとは
理解したとはどういうことなのでしょうか。知識がなければ理解はできないし、知識があるだけでは不十分。
私は言語化できるかどうかではないかと思っています。持てる知識を総動員してストーリーを言語化する。受験なら記述式の答案を作る、研究者なら論文や学会でのプレゼンなどで言語化スキルの差が顕在化します。それは単にスキルの話だろうと言われそうですが、言語化されない相手に情報を伝えられません。我々は「理解」と「言語化」という二つの現象が畳み込まれた情報を受け取り、頭の中で逆畳み込み(deconvolution)をして理解度と言語化スキルを評価しているのでしょう。もちろん、ここでの逆畳み込みは真実と一致することはないのですが。
私のnoteは言語化の訓練です。できるだけ毎日投稿したいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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