最初の記憶 ~発症~
私はパニック障害、うつ、拒食症状の発症から完全回復しました。
発症から回復まで約7年。
全記録を数回に分けて書いてみようと思います。
東日本大震災が起きた時、私は埼玉県で働いていました。
とても古い建物にいたので恐怖を感じましたが、震源が東北だと聞きいてもたってもいられず、食堂に駆け込みテレビをつけた。
想像を絶する光景が映っていた。
親戚が甚大な被害を受けた地域に住んでいたのだがまさにそこが映っていた。
祖父がよく行っていたパチンコ店の看板がぐちゃぐちゃになってながされていた。
それを見て私は膝から崩れ落ちた。味わったことのない絶望感だった。
職場の商品も大量に破損してんやわんやだったが、私は親戚の安否が気になりずっと上の空だった。
流通業界で働いていたため、翌週から膨大な残業をすることになった。
毎日朝9時の出勤し深夜2時近くまで残業。社宅に住んでいて会社から自転車で5分で家に着いたので、終電で帰る、等の言い訳は通用しなかった。
3月下旬といえど朝晩は冷え込みが激しく、外とつながる倉庫での作業を深夜に行っていたので、ほぼ屋外での作業といっても過言ではなかった。
その日は特に冷え込みが激しく、がたがた震えながら作業していた。
日々の残業量に限界を感じてはいたが、一番下っ端の私よりも、先輩たちのほうが大変な作業をしていると思っていたので、我先にと抜けるわけにもいかなかった。
震災から何日も経ったが、依然として親族の安否はわからない状態、深夜の凍えながらの作業・・・
私はふと思った。
「あぁ。なんで私がこんなに頑張らなきゃいけないのかな」
ドクン!
何かのスイッチが入ったような感覚を共に動悸が激しくなり、過呼吸と手足のしびれも襲い立っていられず、私はその場に倒れこんだ。
幸い当時の彼氏が近くで作業をしていて、私の異変に気付き、応接室へ担ぎ込んでくれた。
感じたことのない不快感、焦りの感情、止まらない過呼吸。
手足にプラスして顔のしびれもあり、言葉を発することもできなかった。
なぜか
「あぁ、私はこんなところで死ぬのか・・・」
「いやだ、まだ何も成し遂げていない!死にたくない、死にたくない・・・!」
という強烈な思いにさいなまれていた。
おさまらない様々な症状に混乱し、とにかく
「助けて!!!」
と叫びたかった。でも声も出ず、呼吸もおかしいまま。
ただただ絶望した。
彼に代わり介抱してくれた女性の先輩が妙に落ち着いているように見えた。
それが信じられなかった。
なぜ?!私死ぬかもしれないのに!!
なんでそんなに落ち着いていられるんだ?!
と本気で思っていた。
スイッチが入ってから小一時間程経っただろうか。
症状はほぼすべておさまった。
午前2時を回っていた。
上司がやってきて
作業ができないなら今日は帰っていい
と言いそそくさとまた倉庫に戻っていった。
私は罪悪感をいだきながらも力の入らない身体を気合で起こし、フラフラになりながら家路についた。
こんな状態でも、また明日9時には出勤しなければならない・・・
続く