サンスクリット原典で、読んで、学んで、深めるヨーガ!第1061号『ゲーランダ・サンヒター3:44』
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サンスクリット原典で、読んで、学んで、深めるヨーガ!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 2022.07.14.◆第1061号◇
目次
◎ ゲーランダ・サンヒター 3:44
◆ 本文
◆ 単語の切れ目・意味
◆ 原文の語順訳
◆ 日本語訳
◆ ポイント解説
◆ 編集後記
=◎ ゲーランダ・サンヒター 3:44================
◆ 本文(原文)
yāni pāpāni ghorāṇi upapāpāni yāni ca
tāni sarvāṇi naśyanti yonimudrānibandhanāt
tasmādabhyasanaṃ kuryādyadi muktiṃ samicchati (44)
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◆ 単語の意味(連声を切った後の、各単語の意味)
yāni ~であるものは
pāpāni 害悪、罪、罪悪、犯罪
ghorāṇi 畏怖すべき、崇高な、恐怖すべき、激しい
upapāpāni 微罪
yāni ~であるものは
ca また
tāni かれ、それ
sarvāṇi 全ての、一切の
naśyanti 失われる、滅する、没する、消える、去る
yonimudrā ヨーニ・ムドラー
nibandhanāt 縛る、しっかり締める、結ぶ
tasmāt それゆえ
abhyasanam 実行、実習、留意
kuryāt なす、作る、構成する、実行する
yadi もし
muktim 解放、解脱、ムクティ
samicchati 求める、尋ねる、願う、乞う、希求する
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◆ 原文の語順訳(原文を原文の語順と発想のままで読むための訳)
であるものは、罪悪が、恐るべき、微罪が、であるものは、また、
それらが、全てが、消える、ヨーニ・ムドラー・実践から。
それゆえ、実践を、為すべきである、もし、解脱を、求める。
◆ 便宜的な意味(上の訳を自然な日本語の語順、流れになおした訳)
ヨーニ・ムドラーの実践から、大罪も、また微罪も、
それら一切が消え去る。それゆえ、
もし解脱を求めるならば、その実践をなすべきである。
◆ ポイント解説
ヨーニ・ムドラーの「phalakathana」の続きにして最後の節です。通常の3行分で1節になっており、これでヨーニ・ムドラー解説が終わります。改めて前節と並べてみます。
atha yonimudrāphalakathanam
brahmahā bhrūṇahā caiva surāpo gurutalpagaḥ
etaiḥ pāpairna lipyate yonimudrānibandhanāt (43)
yāni pāpāni ghorāṇi upapāpāni yāni ca
tāni sarvāṇi naśyanti yonimudrānibandhanāt
tasmādabhyasanaṃ kuryādyadi muktiṃ samicchati (44)
以下が、ヨーニ・ムドラーの果実の話である。
バラモン殺し、胎児殺し、また実に、飲酒、師の妻への姦淫、
ヨーニ・ムドラーの実践から、これら罪悪によって汚されることがない。(43)
ヨーニ・ムドラーの実践から、大罪も、また微罪も、
それら一切が消え去る。それゆえ、
もし解脱を求めるならば、その実践をなすべきである。(44)
読んですぐに気づくのは、それぞれの節に「yonimudrānibandhanāt ヨーニ・ムドラーの実践から」と同じ表現を織り込んでいる点で、このような繰り返しの文辞があった時は、内容と共に、その讃辞的な意味合いが強くなるということは何度か書いたと思います。そもそもこの一連の「phalakathana」のくだりは全てその行法の讃辞的な意味合いがあると言ってもよいかもしれません。
ちなみに、サンスクリットと日本語の文章の特性、また翻訳の都合から、文章における位置は異なりますが、私の訳では原文での繰り返しがわかりやすいように、「ヨーニ・ムドラーの実践から」と翻訳を同じにして、位置も行頭に置いています。さらに原文に忠実に訳すなら、文中での位置やそれぞれの距離関係も表現するということも可能ではありますね。
これで長々と続いたヨーニ・ムドラー解説がphalakathanaも含めてすべて終わりです。実質的にはこのphalakathanaの前で行法的な意味はほとんど説かれていると読めますが、逆になぜこのphalakathanaのくだりを説く必要があったのかを考えるのもまたひとつのテーマになるとは思います。
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詳細解説はブログで
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(第1061号 完)
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発行者 誠 samskritamakoto@gmail.com
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