サンスクリット原典で、読んで、学んで、深めるヨーガ!第1030号『ゲーランダ・サンヒター3:11
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サンスクリット原典で、読んで、学んで、深めるヨーガ!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 2022.04.20.◆第1030号◇
目次
◎ ゲーランダ・サンヒター 3:11
◆ 本文
◆ 単語の切れ目・意味
◆ 原文の語順訳
◆ 日本語訳
◆ ポイント解説
◆ 編集後記
=◎ ゲーランダ・サンヒター 3:11================
◆ 本文(原文)
atha uḍḍīyānabandhasya phalakathanam
samagrādbandhanāddhyetaduḍḍīyānaṃ viśiṣyate
uḍḍīyane samabhyaste muktiḥ svābhāvikī bhavet (11)
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◆ 単語の意味(連声を切った後の、各単語の意味)
atha さて、それでは
uḍḍīyānabandhasya ウッディーヤーナ・バンダ
phala 果実、実、結果
kathanam 物語、記述、報告
samagrāt 全き、完全な、全ての
bandhanāt バンダ
hi 実に、まさに、なぜなら
etat これ
uḍḍīyānam ウッディーヤーナ
viśiṣyate 大いに尊重される、優れる、最上である、卓越する
uḍḍīyane ウッディーヤーナ
samabhyaste 実践する、専心する
muktiḥ 解放、解脱、ムクティ
svābhāvikī 自然に、本来の、固有の
bhavet である
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◆ 原文の語順訳(原文を原文の語順と発想のままで読むための訳)
さて、ウッディーヤーナ・バンダの、果実・話である。
全てから、バンダから、まさに、これが、ウッディーヤーナ、卓越する。
ウッディーヤーナにおいて、実践する、解脱が、自然に、あるであろう。
◆ 便宜的な意味(上の訳を自然な日本語の語順、流れになおした訳)
以下が、ウッディーヤーナ・バンダの果実の話である。
全てのバンダのうち、まさにこのウッディーヤーナが最上である。
ウッディーヤーナを完全に実践し得るなら、解脱が自然にあるであろう。
◆ ポイント解説
ウッディーヤーナ解説の2節目、そのphalakathanaが語られています。前節は3行でしたら、こちらは通常の長さの2行に戻っています。
ここでは宣伝めいた語りに終始していますが、まずウッディーヤーナがバンダのうちで最上であること、さらにこれを完遂することによってmukti ムクティ、すなわち解脱が自然に訪れると言っています。原文では「bhavet」と言っているので、訪れるというよりは自然に「ある」というニュアンスのようで、そう訳してあります。
これは英語のbe動詞と同様に「~である」を意味して、ビートルズに「Let it be」という曲がありますが、この「be」のニュアンスに近いのではと思います。
さて、これでウッディーヤーナバンダの解説が終わりです。改めて前節と並べてみます。
atha uḍḍīyānabandhaḥ
udare paścimaṃ tānaṃ nābherūrdhvaṃ tu kārayet
uḍḍīnaṃ kurute yasmādaviśrāntaṃ mahākhagaḥ
uḍḍīyānaṃ tvasau bandho mṛtyumātaṅgakesarī (10)
atha uḍḍīyānabandhasya phalakathanam
samagrādbandhanāddhyetaduḍḍīyānaṃ viśiṣyate
uḍḍīyāne samabhyaste muktiḥ svābhāvikī bhavet (11)
以下が、ウッディーヤーナ・バンダである。
臍より上の腹部を、後方に引き伸ばすべきである。
偉大な鳥が絶え間なく飛翔するゆえに、
このバンダはまさにウッディーヤーナと呼ばれ、
死神たる象への獅子である。(10)
以下が、ウッディーヤーナ・バンダの果実の話である。
全てのバンダのうち、まさにこのウッディーヤーナが最上である。
ウッディーヤーナを完全に実践し得るなら、解脱が自然にあるであろう。(11)
いくつか読みどころがあるのですが、まず翻訳で「臍より上の腹部を、後方に引き伸ばす」した原文は「udare paścimaṃ tānaṃ nābherūrdhvam」ですね。これを佐保田さんは「胃を背後へひっこめ、ヘソを上に上げる」と訳されています。つまり「nābherūrdhvam」を「臍の上」ではなく、「臍を上に上げる」と解釈していることになります。
これは実際の動作や、動作に伴う意識まで、かなりの違いとなってしまいますよね。動作や意識が違えば、得られる効果もまた違ってくる可能性もありますね。ではどちらが妥当と考えられるでしょうか?これを読者さまにご検討いただきたいところです。
次に、「死神たる象への獅子である」が日本語としてよくわかりにくいと思いますが、原文がこんな感じなのですね。これは全く同じ文がプラディーピカーにも登場しており、訳もそちらと同じにしてあります。言わんとするところはわかりますか?
最後に今号分の最後で「完全に実践し得る」とした原文は「samabhyaste」で、ちょっと見ると原文には「完全に」という単語がありませんよね。これはどこから来たのでしょうか?
これは「samabhyaste」の「sam」が「完全な」などを意味する接頭辞で、そこから意味を採って「完全に実践」としたのですね。この「sam」は私のヨーガスートラ講義では書きましたが、サンスクリットの「sam」ですね。「完全な言語」などを意味すると書きましたね。
つまりここでは単なる実践ではなく、「完全に」実践がなし得るなら解脱がある、と言っているわけで、反対に見れば完全に実践し得ないなら解脱は無いと言っているとも読めますね。
このようなニュアンスも読み取ってあげると原文を読む楽しみや奥深さがわかってくるのではと思います。
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詳細解説はブログで
https://note.com/sanskrit/n/n4ede84f58576
(第1025号 完)
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発行者 誠 samskritamakoto@gmail.com
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