#22 昼と夜の終わりに
先日、東京新宿でオフ会というものを初めてしました。それで、うまいタイ料理でも食べて、近くの有名サウナで一晩明かしてから、朝の歌舞伎町を写真を撮りながら歩いてました。もう朝なのにまだ客引きもしており、ノルマを達成しないとお店の人らも落ちついて退勤できぬ印象でした。一方でそんな私にとって印象的だったのは、店の前に捨てられた無数の山のようなゴミ袋の数々で、何枚か写真撮らせてもらいつつ、また早朝6時にもならない時間から狭い路地を行ったり来たりする回収車を運転する清掃業者さんらでして、意味深に眺めていました。
ところで数年前まで、私は清掃員として職務に励んでいたことがあります。請負契約の仕事だったので、好きなときに休憩を取りながら、任されている仕事+α、ときにβをこなしておりました。こなしていたといっても、日常清掃でしたから、なにも専門的な知恵や技術は要らなかったのでしょうが、それでもコツや手際などがあります。そして実は、傍から見るよりも随分とスッキリ充実したよい職業なのですが、給与などが低いことが悩みの点ではないでしょうか。
そういえば、人のする最後の仕事というものは"作家業"である、というようなことをかの三島由紀夫は著書の中で述べていたような気がします。しかし私の持論では、人のする最後の仕事は"清掃業"だと考えておりまして、例え専門家としてではなくパート/アルバイトであったとしても、清掃業に励むということはこの世の人間社会の営みの終末、つまり裏方でその帰結部分を扱うことではないかと私は考えているのです。難しい表現になってしまいましたが、そういった清掃業に励んでいる場面というのは、どうしてもひとり孤独に黙々と働いている姿勢になりがちのような気がします。そして、それは歌舞伎町の夜やその人々の営みとはどうも対照的な印象を私は抱いてしまって、なにやらその鏡面的な互いの関係性にものすごい気づきが得られるような気がしてしまうのです。目に映って耳を突く煌びやかな夜のネオン街が捨て去り続けるゴミやなにかを通して、私のこころの中にこの世(とあの世を結ぶ奇跡)の真理というようなものが、ふと浮かび上がってくるのです。
たまには東京に出て、非日常だけに関わらず自分の日常とは異なる暮らしやその環境というものに触れてみることも大切だなと感じました。……何やら訳の分からない怪しい話となりました。