ゴッタンの謎 〜薩摩の民俗楽器〜
2008年ごろのことなので、もう13年くらい前になるのですが、薩摩地方に「ゴッタン」という板三味線があるのを知って、いろいろ調べたり入手したりしていた左大文字です。
当時はヤフーブログに記事を書いていたので、今は閉鎖されてしまったのですが、アーカイブをブロガーに移してあります。
ゴッタンがらみでは当時から復活演奏に取り組んでおられた「財部北小学校」の方と連絡を取り合ったり、鹿児島大学の某講座で、「ゴッタン」作りを取り上げる、というので、キットを20棹くらい送ったりしたのですが、すっかりゴッタンそのものからは離れてしまっていました。
その間、甑島のみなさんがゴッタンの復興に取り組んだり、少しずつゴッタンがらみの企画が盛り上がっているらしいことを知って、喜ばしく思っていたのですが、「ゴッタンプロジェクト」なるものも誕生していたようで。
いやあ、少しずつでもゴッタンファンが増えているのは嬉しいですね。
さて、その昔から荒武タミさんに直接教わったゴッタン有識者の「あらいぐま」さんが、昨年お亡くなりになっていたことを知り、少しショックでした。初期にわずかにコメント程度で連絡を取らせていただいた記憶がありますが、ゴッタンの昔ながらの演奏方法については第一人者だったと思うので、残念です。
左大文字のコレクションとしては、無銘の古ゴッタンが一棹、えびのゴッタンが数棹あります。レプリカも自作していますし、依頼を受けて製作したことも多数あるので、その原型も手元にあります。
しかし、とはいえゴッタンは謎の楽器。その謎度合たるや、まさにミステリーです。
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まず、現代側から遡ると、そもそも製作者がほとんどいません。代表的なゴッタン製作者といえば黒木俊美さんがおられますが、高齢で現在ではほとんど作っておられないと思います。弟子の上牧正輝さんが受け継いでおられますが、それでもたった一人です。
2019年ごろまでは宮崎のえびのゴッタンが入手可能でしたが、既にヤフオクでの販売はなさそう。現地にはまだあるかもしれませんが。
もともと、ゴッタンは大工さんが家の普請のついでに製作して家主に贈ったりしたもののようで、その意味では無銘の楽器です。沖縄の「かんから三線」のような部分があると言えるでしょう。大工出身の製作者に平原利秋さんがおられますが、この方もご高齢です。
古ゴッタンを集めてきても、「名のある製作者」などはないのが普通です。明確な型もなく、形状もバラバラで、それがゴッタンらしい、とも言えます。
演奏者についても同様で、「荒武タミ」さんぐらいしか明確な奏者は記録になく、また録音も彼女の音源のみが残っているような状況です。2008年当時、中古のレコードを入手したのですが、「ゴッタン 謎の楽器をたずねて 荒武タミ」(CBSソニー・1878)というのがタイトルですから、収録時点ですでに「謎の楽器」扱いだったわけです。
そのゴッタンを後世に残す、つなぐ役割をなさったのが、現地の民俗芸能研究家であった鳥集忠男さんで、伝承者として演奏を広めました。
さきほど紹介した「あらいぐま」(本名・橋口晃一)さんは、最後に荒武タミさんから演奏を伝授された方に当たります。
逆に言えば、リアルタイムに「ゴッタン」を取り巻いていた人たちというのは、これくらいの人数しかいない、という不思議な楽器でもあります。
もちろん、鹿児島・宮崎の村々には、実際に古ゴッタンがたくさん残っており、それを弾いていた市井の人たちがたくさんいたわけですが、それはほとんどきちんとした記録や伝承としてはアーカイブされていないわけです。
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では、ゴッタンとは、いったい何なのか?どんな経緯を持つ楽器なのか?という点に誰もが興味を持つことでしょう。
形状は三味線です。皮の代わりに「板」が張ってあり、「板三味線」や「箱三味線」と呼ばれます。
ゴッタンということばの語源は不明で、先ほどの鳥集さんは「中国雲南省の古弾」から来ていると推察しましたが、その真偽も定かではないと言います。
残っている古ゴッタンの全長はたいていが90センチ前後で、100センチくらいになる本州の三味線よりは「明らかに小さい」ことが特徴です。
サワリはなく、本州の三味線と比べて原始的でもあり、またサワリがないことは沖縄の三線とも共通しているので、関係があるかもしれません。
バチを使わず爪弾く点も、沖縄三線に似ている部分があります。
(厳密には、三線は水牛バチを使う、奄美三線は竹バチを用いる)
沖縄には『唄三線』という言葉があり、唄と楽器(伴奏)は歌が主にして伴奏が従という考え方がありますが、荒武タミさんも「歌が先、サンセンな、そのツレ(伴奏)」という口癖があったそうです。
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さて、それでは文献資料などから「ゴッタン」がどのように記録されてきたか、列挙してみましょう。
◆ 「南日本風土記 川越政則 1962 」
”この手踊いとゴッタン文化がいわばわれわ若いものから婆さんまでじっとしておれなくなる。串木野からの出稼ぎの娘さんなどには、料理屋の台所で下働きをしていても、宴席でハンヤぶしのテコ・サンセンがなりだすと、もうソワソワ浮かれだすのもいた”
”紙をバショウの渋などで強くして張った三味線が奄美大島にもあったので、それを板張りにしてしまったのがゴッタンなのかもしれない”
◆ 「日本の音 声の音楽 1999 音楽之友社」
”ゴッタンの歴史に関しては、文献もなく、ナゾにつつまれているが、鹿児島では三味線が普及する前から用いられていたようだ。鹿児島では、明治になってから三味線が普及するが、庶民にとってはゴッタンが親しまれていた。”
”本を探しても、ゴッタンにふれたものはほとんど無い。わずかに、『南日本民謡曲集』のなかで、久保けんお氏が十数行の紹介をしているのを見ただけである。”
◆ 「民謡のふるさと 明治の唄をたずねて 服部竜太郎 1967」
”薩摩はゴッタンの響き大隅半島へでかけて、ほうぼうを歩きまわっているとき、伊座敷の旅館で二階に休んでいると、階下の部屋から、ききなれない楽器の音がし音してきた。三味線にしてはどうも音がさえていない。ボュンボンというような、にぶい音である。なんともあかぬけのしない鈍重な音であるが、それがまた、いかにも鹿児島人の気性を反映しているように感じられ、汐替え節にしても、ハンヤ節にしても、ゴッタンが一枚加わると、俄然、薩摩色を濃厚にだしてくるのである。”
◆ 「日本民謡全集: 九州.沖縄編 雄山閣 1975」
”「ゴッタン」は日本三味線のような冴えた音は出ない。また旋律をひくのにも適せず、あくまでも打楽器としての役割で単純な伴奏をする(いわゆる投げ撥。「鹿児島はんや「鹿児島おはら「角力取り節」などなど、すべての騒ぎ歌は、そのような伴奏でうたい”
◆ 「日本音楽の古層 小島美子 1982」
”そうした座敷歌の三味線に対して南島の三味線の弾むリズム型は、ハイャ節(ハンヤ節、アイヤ節などとも)などを通して全国の港に広がり、さらに内陸にまで影響を与えたように思わ離島の甑島を調査して、ゴッタンを弾く人々がまだまだいることを明らかにした”
◆ 「火の山 海音寺潮五郎 1969」
”女中がゴッタンを持ちこんで来て、ペンペンと鳴らしはじめた。板で張った小型の三味線である。薩摩ではこれが子供らのおもちゃにもなれば、百姓らの野外の行楽にもこれを弾いて興をそえることがよくある”
◆ 「世界 岩波書店 2003」
”私が日本をウロウロ旅していて、鹿児島へ行ったときに、男の人たちはみなさん焼酎を飲むとゴッタンを弾いていらしたんです。三線の手作りの木製品。それに合わせていろいろ歌っていらっしゃいました”
◆ 「邦楽百科事典 雅楽から民謡まで 1984 音楽之友社」
”ゴッタン薩摩の庶民のあいだで愛好されていた板張り三味線。昔のものは琉球の三線と同じく小型で、全長約二尺五寸(七六センチ )、胴はさらに小さく箱型。大工や素人の手仕事でつ家の人たちの手なぐさみであった。”
◆ 「東洋音楽研究 1936 第一書房」
”鹿兒島に傅はるゴッタンと稱する極めて古風な三味線の長さは稍々南島の三絃に似絵はツルと云ひ、三本共に琴の絃の如く撚り絃で、白色である。一の絃を男絃(ウーヅル或はヴーヅル)、二の絃を中絃(ナカヅル)、三の絃を女絃(ミーツル)と云ふ。”
◆ 「文化評論 1964」
”戦前までサツマで三味線といえば、ほとんどが手製のゴッタンであった。”
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三線や三味線楽器を在野で研究している左大文字から見ると、いくつか気になるポイントがあります。
それはまず、鹿児島弁・薩摩方言で「テコサンセン」という言葉があること。これは「太鼓・三味線」の意味で、歌や踊りの道具セットというニュアンスがあります。
また「鹿児島では明治になってから三味線が普及」との記述もあります。サンセンという言葉があるのに、三味線の普及が遅いというのは不可思議です。また、戦前まで三味線といえば「ゴッタン」を指していた、というのも気になりますね。
さらに旋律を弾かず、単純なリズム型の伴奏をする、という点も、沖縄三線を連想させます。
そして、そのサイズ感は、思っているよりも「小型」であるようです。昔のものは小型で、全長76センチ、というのは沖縄三線と同じサイズです。
また、男弦・中弦・女弦の呼び方をするのであれば、これも沖縄三線と同じということになります。
沖縄との関係でいえば、竹富島の芸能に「箱三味線」という歌詞が登場します。
こうして文献上のデータを概観すると、「蛇皮の三線」→「本州の三味線」→「その模造品としてのゴッタン」というわけではない感じがしてきます。
どうも「蛇皮三線」→「ゴッタン」に直接分化している可能性があるのかもしれません。だから「ゴッタン」は棹が短く、かつサワリがないのだとすれば、その部分は話が合致します。
実際に、沖縄では古い人たちは「サンシン」を三線とは書かず、「三味線」と表記しますから、テコサンセンが本州式の「太鼓・猫皮三味線」を意味しない可能性もあるのかもしれません。
中国から蛇皮三弦が入ってきた時は、おそらく棹は長いものが入ってきたのではないでしょうか?実際に現在の中国三弦は、棹はかなり長いのです。(小三弦で全長100センチ、大三弦では120センチを超える)
それが、沖縄で2尺5寸サイズになり、薩摩では木材でコピーされた、という仮説は、なかなか面白いかもしれません。
となると、ゴッタンという言葉は、いったい何なのか?という古くて新しい謎が再燃します。
この謎を説くのは、もしかするとあなたかもしれません。
(おしまい)